吉村順三建築展/記念シンポジウム | [ Architecture , Event ] |
19日(土)午後、吉村順三建築展の記念シンポジウム第一回「吉村順三の現代的意味」が、芸大美術学部大浦食堂で開かれた。
講師は「都市住宅」の植田実さんと、今をときめく建築史家にして建築家のF森教授こと藤森照信・東京大学生産技術研究所教授、それに松山巌、彼は芸大建築科出身の小説家であり評論家である。
吉村に学んだ松山の司会で、各々の吉村の作品についての話が展開する。
植田は、吉村の自宅である南台の家の長年にわたる改築増築の平面図と、同時代の建築家の住宅、それが皆プロトタイプであることを示し、吉村との差異を際だたせる。
藤森は吉村の代表作たる軽井沢の山荘の秘密を解き明かす。レイモンドの軽井沢の夏の家(コルビュジェの模倣として有名な)のコンクリート擁壁と木造部分の組み合わせが、軽井沢の山荘の大きな要素であることを、吉村自身とのインタビューでの彼の数少ない言葉の中に見つけ出したのだ。
書院造りの発見者たる吉村、作る側(セルフビルドという感じの)に立たない吉村、吉村とフランク・ロイド・ライト、普通とは何なのか、芸大出版、そんな数々の話、吉村順三の今における意味、現代的意味が大いに語られたのであった。
建築史家として数多くの巨匠、丹下、前川、吉坂等々にインタビューしたことのある藤森は、同じ質問を彼らに試みたそうだ。「太平洋戦争開戦の時、何を思ったか」だそうだ。皆それなりの覚悟、日本国民としての.....だそうだが、吉村は異なっていた。「国家がそんな決意をしたなら、私は事務所を始めよう」と思ったそうだ。藤森は「芯のある人」と言っていたが、ちょっと不思議な人ではある。
吉村から直接学んだ者として、余りに身近で神格化されたようなその作品が、分析され、批評されることは、とても面白い時間であったのだ。