051208

吉村順三 /1941年12月8日

Architecture

今朝の朝日新聞の「天声人語」は、太平洋戦争開戦、日本が米英に宣戦布告した日が12月8日、64年前の1941年の今日だ。
それを読みながら、先日11月19日行われた吉村順三建築展/記念シンポジウムで、近代建築史家である藤森照信・東京大学教授の吉村順三についての話を思い出した。

歴史家として数多くの巨匠、丹下健三、前川國男、吉坂隆正等々にインタビューしたことのある藤森氏は、 各巨匠方に同じ質問を試みたそうだ。曰く「太平洋戦争開戦の時、何を思ったか」だそうだ。
前川は「今までのもやもやがすっきりして、がんばらねば.......」とか、丹下も最初はそれほど感じなかったが、日をおうごとに......と語られたそうだ。皆さんそれなりの覚悟、日本国民としての決意を語られたそうだ。

ところが、吉村は異なっていた。「国家がそんな決意をしたなら、私は事務所を始めよう、と思った」と語ったそうだ。藤森は「しん(芯)のある人」と語っていたが、吉村はちょっと不思議な人ではある。

私は、彼の合理主義者として、あるいは実際主義者として、そんな吉村らしい発言と思った。

Posted by 秋山東一 @ December 8, 2005 07:20 AM
Comments

吉村事務所のサイトの「吉村順三経歴」を見ると、「1941 昭16 /最後の帰国船で帰国 /12月8日新橋土橋に吉村設計事務所を設立 /千葉県佐倉厚生園サナトリウム設計」とあります。
太平洋戦争開戦と吉村事務所開所についての吉村の思いを感じますね。

Posted by: 秋山東一 @ December 9, 2005 11:10 PM

開戦の直前まで米国本土にいて、合理的考えの持ち主ならば、国力の違いからその結果は当然分かっていたのでしょうね。
あえて政治的批判しない吉村さんのその言葉は結構重いですね。

Posted by: iGa @ December 8, 2005 09:04 AM