AppleII | [ Apple ] |
2006年4月1日で Apple Computer は創立30年を迎えた。
何事かあるかと期待していたのだけれど何事もなく......…であった。
iPod、Macintosh で、今をときめく Apple の始まりは、世界最初のパーソナルコンピュータというべき AppleII の成功から始まる。
REVOLUTION in The Valley で アンディ ハーツフェルド Andy Hertzfeld は、その前書きをこんな風に始めている。
□ はじめに僕の人生で一番の買い物は、1978年1月に、当時の僕のほとんど全財産を叩いて 1,295ドル+税で買った、16KバイトのRAMを搭載したAppleIIマイクロコンピュータ(シリアル番号1703番)だった。僕はすぐに満足したが、深く探求するにつれて、ますます心をときめかせるようになっていった。AppleIIは、7本の拡張スロットや高解像度のカラーグラフィックスなど、 信じられないような特徴を備えていた。しかし、そこには単なる機能を超えた、言いようのない品格というものがあった。やっと自分のコンピュータを買うことができたというだけでなく、手にいれたものには魔力があることが分かった。それは想像を超えたものだったのだ。
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それには抗しがたいほどの魅力があった。だからって、彼のように Apple社にいくわけにはいかなかったけどね。
うーむ、まさしく Once upon a time…… ということになるのだが。
その前の年あたりから、いわゆる[マイコン」という言葉を耳にするようになった。
NECからワンボードマイコンTK80とやらが......僕は説明書だけ秋葉原で手に入れたけれど、何も分からずチンプンカンプンであった。
そして、秋葉原の裏側に徐々にマイコンショップなるもの目に付きだした。秋葉原もその頃は家電一色、現在の興隆ぶりとはちょっとばかり違っていた。
そんなマイコンショップに、キィボードにモニターがくっついた箱で、なにやらスタートレックやらのゲームらしきものが動きだしてきたのだ。
そして、あっという間に、今のコンピュータらしき顔をした機械が並んできた。その頃は「マイコン御三家」と言われたコモドール(Commodore)の PET、タンディ・ラジオシャックの TRS80、そしてアップルの AppleII だった。
その三つのコンピュータ(パーソナルコンピュータを略してパソコンなんて云うようになるのは、ずっと後のことだ)の中で、AppleII だけがカラーでグラフィックを表示できたのだ。
その頃、今ではNPO法人「こもろ情報ひろば」でご一緒させていただいている小諸の木島和郎さんと話していた時、実は私もコンピュータを…なんて話しで、木島さんのご協力で、ご一緒に AppleII を手にすることになったのだ。
まぁ、それから怒濤の AppleII の時代、なんたらかんたら、Clockwork Apple というコンピュータクラブやら、APPLE TOURと名付けたアメリカ旅行、サンフランシスコの Apple Fest、パロアルトのアップル社訪問とか.......いろいろ始まるのであった。
そして Macintosh の時代へとつながっているのである。
そんな、こんな、Apple の30年は、僕にとっても身近な30年なのだ。
かん さん、どうもです。
古い話を恐縮です。Apple といえば、Mac なんてのを通り越して、iPod なんてことになりそうなご時世です。昔々の Apple][ なんて世界が忘れられそうで、Apple草創30周年記念にエントリーしておきました。
そう言えば、ぼくもパーソナルコンピューターとのまともな遭遇は学校の研究室(自分の所じゃないんですが)にあったAppleIIでした。夏の八王子、冷房も無い部屋で酷使されてたAppleIIはすぐに熱暴走するので上のカバーを外して、自作のダクト(紙製)で強制空冷されてました。
なれない英語のマニュアルと首っ引きでプログラム組んだり、勿論ゲームで遊んだり、いろいろ楽しませてもらったものです。