120215

八王子駅 /1952年以降

Hachioji , TRANSPORT

Hachioji_station_0.jpg
1952年に米兵が Kodak のカラーフィルムで撮影した、この国鉄八王子駅・北口駅舎の写真が、Facebook 上で大い(まぁ、一部の皆さんに……)に話題である。

あの時点でこんなにモダンな駅舎が……、と駅前の人力車、非舗装の駅前広場とのアンバランスが目を引く。それと同時に、こんな鮮明なカラー写真が……でも話題なのだ。

この駅舎は1983年に現状の駅ビルとなるまで使い続けられるのだが、アーケードに囲まれたり、徐々に原形を留めず……というわけで、このモダンな初期の建築は忘れられていってしまったのだ。

今開かれている特別展「八王子と鉄道」の図録に何枚かの写真あり……、というところでスキャンして載せてみた。

Hachioji_station_1953_1.jpg106. 完成した八王子駅北口広場」という1953(昭和28)年の写真だ。ちょうど、私の父が帰国してこの駅頭で歓迎式が開かれた年だ。

歓迎式のテントの写真に写っている妙にクラシックな街灯がバス横右手に確認できる。

駅右手、西側にバスの発着所が整備されボンネットバスが何台か、バスを待つ人々の姿が見える。タクシーかどうか分からないけれど、車も何台か停車しているのが見える。

この写真で、改札口から階段で上ってプラットホームへの跨線橋があるのを確認できる。

Hachioji_station_1961_1.jpg110. 八王子駅北口」とある1962(昭和36)年の写真だ。

建物は何も変わっていないが、タクシーがある。トヨタ・パブリカなんてタクシーがあった……、2ドアセダンかな……、まぁ、Beetle のタクシーもあったのだから、不思議ではないかも知れないが。いや、トヨタ・コロナ……かも。

以前、郵便ポストがあった場所には公衆電話ボックスがある。通信手段の進化の証かな。


追記 120216

この八王子駅北口を使うようになったのは、私が高校に入学し、立川まで中央線で通学するようになってからだ。1958年から三年間……、この駅舎がカッコいいなんて思ったこともなかった。

その後、一年浪人を経て芸大建築科の学生になるのだが、八王子駅の駅舎を建築として考えたこともなかった事が不思議だ。それからずっと駅としての機能はあっても、建物としての駅はなかったのだ。

きっと、駅という機能、移動する為の空間はそういうものなのかも知れない、留まることが目的ではない空間は人の記憶にも残らない……、それが駅という空間の特性なのかも……。

私がこの駅舎をカッコいい……、あるいは、何か素敵な空間として認識したのは、1952年の写真の通りの新品だった頃、10歳の時、水戸からやってきた叔父のチッキの荷物を取りに駅舎向かって左端にある荷物扱い所に出かけた時だった。鉄平石の貼られた壁、濃青のペンキが塗られた横ルーバー……それらの姿は今もって思い出す事ができる。

それは、通過する目的ではない駅……、それを感じていたからかも知れない。


Posted by 秋山東一 @ February 15, 2012 01:29 AM
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