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八王子駅 /1953年春

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国鉄八王子駅北口の駅舎の1953年の写真をエントリーしたばかりだが、その年の春に、この駅頭で行われた行事を思い出した。

その年は、終戦(敗戦)間際に満映に小西六から出向した父(秋山喜世志)が八年ぶりに帰国した年だった。1953年4月15日に興安丸で舞鶴に上陸し帰国したのだ。

4月19日、自宅のある八王子駅に到着、八王子駅前で八王子市が主催する歓迎会が開かれたのだ。

出迎えてくださった写専同期の河野實氏によって撮影された写真が残されている。モダンな八王子駅北口駅頭で出迎えられた若き43歳の父がいる。その背景に駅の鉄平石とレンガ目地風にガラスがはめこまれた部分が見える。

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テントは歓迎会の為の臨時のものだ。モダンな駅舎を出て左手にはこんなバラックな風景が拡がっていた。右手のクラシックな街灯は写真の中に長い影となって確認できる。

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その時、私は10歳の小学4年生だった。父が挨拶で、母と私と妹の三人が世話になったことの礼をいい.....これから八王子の発展に貢献したい......と言ったのを聞いて、大人ってうまいことを言うもんだ.....と感心したのを覚えている。

Posted by 秋山東一 @ October 29, 2007 11:11 AM
Comments

秋山さん、ありがとうございます。

最近、終戦から10年以内のこと(獅子文六のいう、「ちらし寿司の上下をひっくり返したような」状況)について、関心があるので勉強になります。

また何かあったら、書き込みさせていただきます!!

Posted by: inuko @ October 31, 2007 03:12 PM

inuko さん、どうもです。
flickr の写真を教えていただなかったら、このエントリーもありません。勝手に修正させていただきましたが、京都府の舞鶴で、神奈川県の真鶴ではありません。真鶴上陸では北朝鮮のスパイみたいですね。
ところで、第2次世界大戦終了後、中国は内戦状態、そこから今の中華人民共和国が成立するのですが、朝鮮戦争の勃発というような事態になって、帰るべき多くの日本人が残されていたのです。1953年は朝鮮戦争が停戦し、中国に残されていた日本人が帰ってきた年なのです。「引揚げ」といいましたが、その上陸地が舞鶴だったのです。

Posted by: 秋山東一 @ October 29, 2007 07:08 PM

モダン駅の周囲に、こういう光景があったとは!!

まったく、何度もびっくりさせられる八王子駅です!

>舞鶴に上陸
お父様のインタビュー記事、淡々とした口調に見えますが
たいへんだったんでしょうね。。。これから先も、繰り返し読もうと思います。

Posted by: inuko @ October 29, 2007 01:17 PM