阪神・淡路大震災16周年 | [ Event ] |
1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が起きた。
それから16年、その時の記憶を風化させない意味で、本ブログで「阪神・淡路大震災」関連のエントリーを再びエントリーしておこうと思う。
● aki's STOCKTAKING: 阪神・淡路大震災を歩く
● aki's STOCKTAKING: 阪神・淡路大震災13周年
● aki's STOCKTAKING: 自立建築のあるまちづくり
● aki's STOCKTAKING: 阪神・淡路大震災10周年
● aki's STOCKTAKING: 阪神・淡路大震災
おりしも、本日は「“木の家”耐震改修推進会議」のイベント「“木の家”耐震改修大勉強会 in 神戸 」が開催されている。
● 大勉強会in神戸プログラム | “木の家”耐震改修推進会議
● “木の家”耐震改修推進会議
ふるかわさん、どうもです。
ご苦労様でした。盛会でなによりでした。「住まい」の安全な生活の入れ物……、ともすれば、当たり前過ぎて忘れがちですが、しっかりと自覚せねばと思っています。
大勉強会から、今日戻ってまいりました。
早朝の追悼式は参加しませんでしたが、17日の夜の新長田の駅前のキャンドルに心揺さぶられました。
たかさん、どうもです。
ご苦労さまでした。盛会だったようでよかったですね。
自分の家はなかなかままなりませんね。いつも、ここは地盤がいいから……とごまかしていますです。
追悼式ならびに大勉強会へいって参りました。
街は復興していましたが人々の心は癒えておりません。
自然を相手とするところですが考えられることは取り組みとして実践していくことが大切であるとおもいます。
kadoorie-ave さん、iGa さん、どうもです。16年経ってもいろんな思いがこみ上げてきます。
「“木の家”耐震改修推進会議」によれば、阪神淡路大震災における神戸市内の死亡者の92%は、地震直後の14分間に自宅で亡くなっているそうです。まずは、地震にあっても建物の所為でよって人が亡くなる事のない……、建物の倒壊がない状態を作りださねばならない’……と言えるのでありましょう。
若いパン屋のご主人が、夜明け前に、いつものパンの仕込みに出かけ、そのパン屋の店舗が倒壊し、生きながらとじこめられて亡くなったのを覚えています。瓦礫の中に生きているのが’分かりながら助けられなかった奥様の悲しみを思い出します。
1995年の経済界の賀詞交換会でダイエー会長中内氏(当時)がTBSの有村かおりアナ(当時)のインタビューに応えてこう言った。「これからはコンピュータとパートタイマーがいればよい、能力のない社員は切り捨てる。」そして、一週間後に阪神淡路大震災が起きた。
或る意味で中内氏の発言は今日の状況を予言していたとも言えるが、自身の会社が切り捨てられるとは...思いもよらなかったことでしょう。
今でも、あの日のニュースの様々な光景が頭から離れることはありません。あるマンションの、潰れてしまった階のベランダに、小学校高学年くらいの大きな男の子を抱きかかえたお父さんがいました。「この子を助けてやってください!この子を助けてください!」遠目で見ても、その男の子はすでに息を引き取っているようでしたが、それでも今ならまだ、もしかしたらと、必死に叫んでいた姿は、忘れられません。
何年経とうとも、震災に遭われたかたたちの体験談やアドバイスを無駄にしてはいけない、生かさなくては、と思います。あの直後から、なんとか自分でできる範囲の地震対策はしましたが、毎年見直さなければいけないなぁとも思います。「今住んでいるマンション、大丈夫かしら?」という心配は...どうしようもないことですが。