050117

阪神・淡路大震災10周年

THINK

今日1月17日は、阪神・淡路大震災10周年だ。

昨年の新潟中越地震やスマトラ沖地震というホットな状況に目を奪われるが、10年前の1995年1月17日午前5時46分に発生した地震によって、死者6433人、建物の全半壊25万棟という大きな被害をこうむった。
この10年前の経験が、その後の対地震対策に活かされていること、それは少なくとも救いであると思っている。

そんな10周年を期に、高速道路に大きな被害を受けた阪神高速道路公団は、保存していた被害にあった橋脚、橋桁等を昨年12月に報道陣に公開、2005年1月、昨日16日と本日17日、一般公開(応募された人のみ)とのことだ。

被災橋げたなど初公開 阪神道路公団

 阪神大震災で高速道路の高架が倒壊するなど大きな被害を受けた阪神高速道路公団が17日、同公団震災資料保管庫(神戸市東灘区)で、被災した橋脚などを初めて報道陣に公開した。
コンクリートに亀裂が入った橋脚や、激しい揺れでゆがんだ鉄鋼製の橋げたなど約40点。特に被害が大きかった場所の構造物を選び、同保管庫で保存していた。いずれも災害のすさまじさを物語る貴重な資料だ。
これまで耐震研究などに役立てるため、研究者らに限り公開してきたが、震災から10年となる来年1月16−17日に一般公開する。一般公開の参加は既に募集を締め切ったが、次回公開も検討するという。

(共同通信) - 12月17日

このような資料こそ常設の施設に公開すべきではないか。ぜひ、そのようにしてもらいたいものだ。

一年前のエントリー「阪神・淡路大震災」に書いたことを、一設計者として、もう一度繰り返しておこう。
地震の被害をうける都度に、建物の構造的な安全性が話題になる。住宅に限っても、それは最上位の必要事項でなければならないはずである。法的な適合性や、施工者の判断によりかかることなく「それを自分で考え、自分で判断しなければならない」と考えている。地震で壊れない、少なくとも地震で人が傷つくことがない居住環境は、最低限必要な性能である。
そして、10年前被災し、その後の復興に携わった建築家・林英雄氏の「自立建築」に学ばなければならないと考えている。

この aki's STOCKTAKING の阪神・淡路大震災に関係するエントリーは下記である。

阪神・淡路大震災
自立建築のあるまちづくり


追記 050117

テレビ朝日の「報道ステーション」で、阪神高速道路神戸線の橋脚の崩壊によって死亡された方の母上が阪神高速道路公団を相手取っての裁判されていたことを知る。昨年、第一審敗訴後、母上はご自身の高齢を理由として和解に応じたとのことであった。
この500mにわたる、RC造の短柱の橋脚の崩壊について、裁判において公団はその個所の設計ミス、施工ミスを否定し設計図書等の提出を拒否し、書類存置期間を理由にその存在自体を否定したそうだ。そんなことがあるのだろうか。

私は地震発生の5日後、22日に西宮から神戸三ノ宮に向けて徒歩で被災地を縦断した。

芦屋市と神戸市の境界あたりの現場を国道沿いに歩いた。橋脚が全て山側に500mにわたって倒れ、上部の道路部分が斜めに崩壊しているのを見た。道路際の高層マンション、木造住宅等の建物に被害はなく、高架の高速道路だけが崩壊しているのは奇妙な風景であった。

その時、5日しか経っていない現場では、こんなに重機が存在したのだろうかというくらいの大量の重機によって崩壊現場の解体撤去工事が進行していた。
まだ、被害の全貌さえままならぬ時、たったの5日間で、十分な検証を成しえたのであろうか。
その敏速な工事の段取り、大掛かりな重機の大集合、唯々「証拠隠滅」のような風景にしか見えなかった。

先の裁判の経過の中で、ここの橋脚崩壊の証拠は何も残っていないそうだ。これが残っていないというのに、「特に被害が大きかった場所の構造物を選び、同保管庫で保存していた。」というのは本当なのであろうか。
阪神高速道路公団とは自身にとって都合の悪いものは保存しないという体質なのかもしれない。

Posted by 秋山東一 @ January 17, 2005 05:46 AM | TrackBack (3)
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