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阪神・淡路大震災15周年

THINK

1995年の1月17日(火)の朝は、 こんな風景から始まった。

あの日、朝のテレビを見ていた小学生の娘が「お母さん、これなーに」と聞いていた。
朝食を準備中の母親は「チェチェンでしょ」といい加減に答えていた。テレビの画面には黒煙を吹き上げる火災の様子が映しだされていた。それも何ヶ所もの火災をだ。
そのテレビに気がついた声、「あなた、大変」の声で飛び起きた。

小学生だった娘もとおに成人となり社会人となった。もう、15年も経ってしまったのだ。

その時の記憶を風化させない意味で、本ブログで「阪神・淡路大震災」関連のエントリーを再びエントリーしておこうと思う。


aki's STOCKTAKING: 阪神・淡路大震災/1月22日、西宮北口から神戸三ノ宮にかけて歩いた
aki's STOCKTAKING: 自立建築のあるまちづくり
aki's STOCKTAKING: 阪神・淡路大震災10周年

Posted by 秋山東一 @ January 17, 2010 05:46 AM
Comments

VolksA担当者S さん、どうもです。
中北さんの奥さんを中心として、悲しみを乗り越えていった、この15年間を回顧するという、きれいな番組でした。
そんなご家族の入れ物として、フォルクスハウスはよく機能しているように思えました。

Posted by: 秋山東一 @ January 18, 2010 10:56 AM

中北さんの事はとても良く覚えています。当時フォルクスで建て替えを希望された建築家の方でした。構造の考え方の良さでフォルクスを選んで頂き、プランの事で何度か電話などで打ち合わせした覚えがあります。
その放送は見たかったですね、、、、

Posted by: VolksA担当者S @ January 18, 2010 10:39 AM

shin さん、どうもです。
今、日本テレビで震災でお嬢さんを亡くした建築家の中北幸氏のご一家の話をやっています。自宅が倒壊して14才のお嬢さんを亡くされたのですが、被災後、彼が建て替えた自宅はOMのフォルクスハウスでした。
テレビに合板表しの内部が美しく映っています。

Posted by: 秋山東一 @ January 18, 2010 01:16 AM

僕も最終日に43号線沿いの高速道路見に行きました
もう証拠隠滅、おおわらわってな感じでした
ひもじい思いばかりで、三田や北区は天国でしたね

Posted by: shin @ January 18, 2010 12:26 AM

shin さん、どうもです。
五日後の22日に、電車で行ける被災地に最短の西宮北口まで行き、そこから西に歩きました。神戸三ノ宮まで歩いて、新神戸から動いていた北神急行電鉄で三田に出て大阪に戻りました。
あの有名な横倒しになった阪神高速道は、まだ5日後だというのに、もうたくさんの重機が入っていて撤去工事を始めていました。なんだか証拠隠滅を謀っているような感じでした。

Posted by: 秋山東一 @ January 17, 2010 05:26 PM

もう15年ですか...16回忌という感じですね。2月3日から1週間いました
空気の悪さと炊き出しという賄い、ねぐらが神戸大のペントハウス、寒かった
三宮では既にヤーさん達が石油缶で焚き火をしながら廃墟に縄張りしてたのが映画の一シーンのようによみがえります

Posted by: shin @ January 17, 2010 02:47 PM