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第四回アースダイビング・吉松レポート

Event , JEDI

11月23日勤労感謝の日に行われた、第四回アースダイビング「Take The "A" Tram」の参加者の一人、吉松眞津美氏から参加者全員に、その日のレポートがメールで送られてきた。

氏は、私達のあいだでは Mattsan で通る、我らの最長老なのだ。このアースダイビングの最初、東京タワー方面のダイビングからの共同正犯というべき方なのだ。私にとっては、1970年のヨーロッパ旅行にでかけた時の二人の同行者の一人(もう一人は建築家で芸大教授の黒川哲郎氏)で、それ以来の親友であるのだ。
今は亡き建築家・宮脇檀の事務所のスタッフとして長年勤められ、今は独立して設計の仕事にあたられている。
何か謀ある時、いつも彼の存在なくしてはないのだ。東アジア世紀末研究会然り、この35年間に行われた数々の企てに参加されているのだ。ところで、氏は長崎・諏訪神社の神官の子として生まれ、長じては長崎市内の高校の電気工作班で活躍され、その後、上京、建築設計を修めたのである。

氏にはブログの公開を強く勧め、その名称「散歩と貯金」も決定しているのであるが、まだない。今回のレポートは「カテゴリー・散歩」の一エントリーである。

吉松です

すべてが完璧でした。今回の企画を立ててくださった、igaさん、masaさんに遅ればせながら改めてお礼を申し上げます。

起はトラム、40年ほど前の一時期、高輪にあった勤め先と四谷見附の間を毎日都電3系統(飯田橋〜品川)で往復していたことを思い出しました。都電は1970年代初頭までは運転されていて時々は乗った記憶もあるのですが、私にとってすっかり過去の乗り物でした。唯一荒川線が残っていることは知っていましたが、乗る機会もなく当日を迎え、専用線故に残されたという軌道をゆったりと緩い速度で地表のでこぼこを感じながら進んでゆくのが心地よく爽快でした。

承いで飛鳥山,王子界隈。少し離れてはいますが、1960年代のある時期、東十条の製紙工場裏の下宿やに住んでいたのですが、工場から出る廃液の凄まじい臭いに悩まされ,早々に逃げ出した苦い思い出しかなく敬遠していた場所ではありました。
けれど今回のアースダイビングで興味深い地形,風景に触れ思いを新たにしました。

武蔵野台地の湧水を集め石神井川となり、元々は上野台地に打ち当たり谷田川として上野の不忍池辺りに流れ込んでいたこの川も、いつの頃かこの辺りで滝野川と名を変え、自然説と人工説とがあるようですが,今では上野大地の狭小部分を切り裂き隅田川に流れ込んでいます。現地を歩きながら感じたのは、蛇行していた天然自然の流れを人はぎりぎりまで利用できるようにいじり、ほとんど直線に近い形までにしているのを見ると、やはり人工説を採りたくなります。江戸時代から続く扇屋での親父さんとのやりとり、北とぴあ展望台からの遠望を楽しみながら次なる展開を。 

早稲田を出て北上してきた荒川線が、この地で転じて東上し三ノ輪に至る。晩秋の夕暮れが迫り,追い立てられるように再び電車に乗リ三ノ輪に向いました。
飛鳥山あたりで分流した音無川は上野大地に添うように日暮里、谷中、根岸、金谷を経て三ノ輪に至り真直ぐ隅田川に向って流れてゆきます。三ノ輪から先は日本堤、土手通りを歩き、元来は農業用水としての川ゆえ、役目を終えた今はすっかり暗渠と化し往年の風情は全く見られません。周辺土地利用が,農業から事業用地と変わったので,単に排水用としての価値しかなくなってしまったのでしょう。

三ノ輪の駅で降りあとは徒歩にて墨田川を目指します。先導役さまについてあちらこちらに引っかかりながら歩き続けました。
あたりがいよいよ暗くなり天ぷらの量で有名な「伊勢屋」桜鍋(馬肉)の「中江」このあたり、向かいがちょうど吉原大門があった場所、昔は遊郭、今は“石けん天国”と化しているらしい(両方とも行ったことないけど)。ちょっと立ち寄りたかったけれど時間も押していたので、「吉原風俗図鑑」英一蝶、「吉原夜景図」葛飾応為等を思い浮かべ、勝手に妄想を膨らませながら先を急ぎ、そしてついに隅田川へと至りました。
けっこう歩いたなー。ご一同中たぶん最年長のはずと思われる私めにはちょっとハードな散歩だったかな?隅田川を渡れば本日の結びとして、向島での楽しい夕餉が待っているぞー。

このあたりは向島、むかしは玉ノ井(念のため言っときますが“玉井”ではありませんよ)とも呼ばれた赤線地帯。私めが上京した1958年(昭和33)春は防売法が実際に効力を持ち始めた年に当たり、残念ながらというか幸いというか立ち寄る機会を逸してしまったのでした。
現在は痕跡がほとんど感じられないべつの街に変わってしまっているようです。

masaさんのご友人が用意してくださった、料亭での晩餐はすばらしいものでした。
ただし名物料理“もんじゃ焼き”はちょい?かな。食べたけど、お隣の方はまったく手をつけられませんでした。下町の名物は“深川飯”とともに私めにとってはいまいちかな。

少し長めの感想になりましたが,年に免じてお許しを。
ともに同行された皆様終日おつきあいいただきありがとうございました。またの機会にお会いできるとしたらその節はよろしくお願いいたします。 

2006/11/27

Posted by 秋山東一 @ November 29, 2006 11:45 AM
Comments

思わず苦情めいた、というか愚痴を隊長には送ってしまい無礼をお許しくださいませ。吉松さんを双方から引っ張りあう形で。いずれにしても当方全文は載せられないため、そのあたりはブログの力に乾杯(完敗)!

Posted by: ike @ December 1, 2006 05:15 PM

なにをおっしゃるウサギさん.........であります。
iKe さんとの話を無視するような形になってしまって、恐縮しています。

Posted by: 秋山東一 @ December 1, 2006 09:12 AM

思いがけずこんな形で取り上げていただき恐縮しています。
自前のblogでアップするのが筋なのでしょうが,あいにく自堕落な性格で不如意です。
30年以上にわたり言葉に尽くせないようなご厚情をかけていただき感謝しています。私も相当な年齢に達しましたが,今後ともよろしくご指導お願いいたします。

Posted by: matsu @ November 30, 2006 10:08 PM