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小諸式天窓

Architecture , BARRACK finder

komoro_tenmado_1.jpg季刊 [ 住  む。] 春号 No.17 に、「知的セルフビルドのすすめ。」と題した記事の最初にに小諸のトップライトを画いた。

この小諸の天窓はもうすっかり無くなってしまったと思うが、ちょこっとホコリを払って Stocktaking(棚卸し)しておこう。

もう10年も前のひどい写真しか残っていないが、もう一度スキャナーに取り込んで再デビューさせてみた。

komoro_tenmado_2.jpg


aki's STOCKTAKING: 小諸のアースキン
aki's STOCKTAKING: 小諸式.....

komoro_tenmado_4.jpg

komoro_tenmado_6.jpg大塚幸一郎氏宅の実測断面スケッチ

Posted by 秋山東一 @ February 16, 2006 05:28 AM
Comments

秋山さん、最後に、ズバッと直球のストレート受け止めました。

Posted by: わきた・けんいち @ February 19, 2006 12:30 AM

わきた さん、どうもです。
まぁ、小諸という町って、「小諸式天窓の発明」以外は、とても保守的なところです。何か自分たちではじめるなんて考えられないような所です。小諸で何かやっている人って皆、外からの人達です。又、小諸の人達は自分自身で何もできないと思っているから、外からの権威にとても弱いのです。
小諸の「街並み保存」の中心となった「まちづくりプランナー」氏にもお会いしたことがありますが、「街並み保存」というような活動を行っている方ってステレオタイプに陥りやすい方々なんでしょうね、まぁ、何か見えているとは思えませんでした。

Posted by: 秋山東一 @ February 18, 2006 09:13 PM

秋山さん、調子にのってしまって、どうもすみません…(^^;)ゞ。勉強になりました。
小諸と近江八幡を比較している議論をみつけました。近江八幡は「内部からの醸成」、小諸は「外部からの再発見」という違いがあるとのことでした。そうならば、天窓が簡単になくなってしまったことも、なんとなくわかる気がします。http://homepage3.nifty.com/hiro1961/machi/hcf10.html

Posted by: わきた・けんいち @ February 18, 2006 08:04 PM

わきた さん、どうもです。
わきた さんの理解力、展開力に、当方、圧倒されっぱなしであります。とにかく、よろしく、お手柔らかにお願いいたしますです。

Posted by: 秋山東一 @ February 18, 2006 07:34 PM

秋山さん。この手の問題について、また拙ブログで考えてみることにします。こちらの『aki's STOCKTAKING』をはじめ、建築家の皆さんのブログからいろいろ刺激を得て、勉強になっています。「闘したほうがよさそうですね」>秋山さん。もう、気持ち的には“共闘”していますよ!
さきほどのコメントでは、共犯なんて書いてしまいましたが、強すぎました。なんといいますか、そんなつもりはないんだけど、良かれと思っているんだけど、結果として、“その街にとって”大切なものを評価できずに捨ててしまったかもしれない…、ぐらいの感じです。もし、この天窓群がいまもきちんと大切にされていると、ユニークなまちづくりになったかもしれませんね。

Posted by: わきた・けんいち @ February 18, 2006 02:36 PM

わきた さん、いつも、どうもです。
私の言葉足らずを解読、補強していただきありがとうございます。なんだか共闘したほうがよさそうですね。

Posted by: 秋山東一 @ February 18, 2006 12:05 PM

秋山さん。「ディズニーランドのような世界」というのは、私がよくいう「ハリボテや映画村のよう」というのと、同じですね。「保存」や「修景」という言葉のもとで、いっけん表面的なデザインは違っていても、全国、どこにいっても「うん?これはデジャビュ」てな雰囲気の街にしてしまっているのでしょう。私見からすれば、それは、そこに住む人たちの「生活の歴史」から切り離されてしまったからです。「小諸の天窓群」は、そのような歴史から生み出されたデザインだったと思います。秋山さんのお書きになったような「『街並み保存』ということを経済的な問題としてとらえ」しまうということは、「外部の観光客のステレオタイプな眼差し」に安易に迎合してしまうことでもあります。そのような動きに、外部の専門家が便乗してしまっている、共犯関係だというわけですね。

Posted by: わきた・けんいち @ February 18, 2006 09:14 AM

わきた さん、どうもです。
「「街並み保存」というような視点では見えない.....」と言いましたが、結局、「小諸の天窓群」を破壊してしまったのは、学者と住民が作り出した「街並み保存」という計画なのです。その地区を経済的な活性化を望む住民自らが壊してしまったような気がします。又、それを指導する学者の皆さんもそれに迎合しているとしか思えません。
まぁ、「街並み保存」ということを経済的な問題としてとらえ、皆ディズニーランドのような世界を作り出してしまう、これは想像力の欠如というような問題なのでありましょう。

Posted by: 秋山東一 @ February 17, 2006 11:35 PM

秋山さん、こんにちは。
デザインサーベイという言葉、「言葉自体を忘れそうでした。」ですか~(^^;)。なんだか、皆さんにご迷惑をおかけしましたかね~。でも、勉強してみようと思います。思想史という研究分野がありますが、このような建築学の分野の実践を思想史的な視点で再評価すると、どうなるのかなと思っています。

さて、「小諸の天窓群」、反応がないのだとか。そういうもんなんですかね。私は、このエントリーを拝見したとき、「『街並み保存』というような視点では見えない」というご指摘が、すっごく重要だなあと思ったのですよ。「外部の論理」に回収されない、「当事者の論理」がそこには存在するからです。私にとっては、家のデザインとともに、その「当事者の論理」がすごく気になるのですね。それをきちんと受け止める能力が、外部の人たちに必要だと思うのです。拙ブログでも、少しそのあたりのことを書きました。ちょっと、“営業活動”みたいで申し訳ないのですが…(ごめんさない)。
「大津の町家で考える(その1)- 人びとの関係と町家-」(2005/12/22)http://blue.ap.teacup.com/wakkyken/344.html
「大津の町家で考える(その2 )-『生活の歴史』を保全すること-」(2005/12/27)http://blue.ap.teacup.com/wakkyken/346.html

もうひとつ。エントリーを拝読したとき、私は、小諸の町家に住む人びとが、初めて「天窓」というものと出会い、それを取り入れたときに、家の中の雰囲気がガラッとかわったときの感覚や気持ちというものを想像したのです。ちょうど、柳田國男が『明治大正史世相篇』なんかで書いたことと同じようなことですね(柳田は、この世相篇の「家と住み心地」には、「三、障子紙から板ガラス」というエッセーがはいっています)。そのような喜びをともなった当事者の時代の流れのなかでの改良を、私はきちんと評価するべきだと考えます。ひょっとして、外部の「街並み保存の論理」には、このようなことを受け止める能力がないだけでなく、むしろ否定的であり続けてきた(文化財的価値をダメにしてしまう)のではないでしょうか。(長文コメントすみません)

Posted by: わきた・けんいち @ February 17, 2006 05:24 PM

わきた さん、どうもです。
そうです。おっしゃる通りのデザインサーベイですね。
わきた さんの「建築学・70年代の批判的サーヴェイ」のエントリーがなければ、その言葉自体を忘れそうでした。
しかし、この「小諸の天窓群」(世界遺産みたいですが)建築の専門家(私の周辺も含めて)の関心が低いのは何故かなぁ、と思っています。

Posted by: 秋山東一 @ February 17, 2006 09:14 AM

秋山さん。デザインサーベイですね!!
過去のエントリー「小諸のアースキン」にある「軒低く連なる町屋の集落のトップライトは、『街並み保存』というような視点では見えない。~そんな保守的な景観保存の有様を嘲笑しているかのように、そこに住みそこに暮らす人達のデザインした景色がそこにあるのだ。」に拍手!!して、エントリー「小諸式.....」にある「北国街道本町の瓦葺きの町屋の屋根を彩っていたトップライト・明り取りはほぼ全滅していた。そこにあるのは観光客に媚びた『町並み保存』の姿である」に、シュ~ンとしました。
伊礼さんのところ(『 子供たちに伝えたい住まいの本「オキナワの家」 』)で、「町の景観が、修景事業のなかでこぎれいだけど味気のない、ハリボテや映画村のようになってしまうことがあります。それはそこに住む人の生活と切れてしまったからだと思っています」とコメントしたのですが、小諸がそうだったんですね~…シュ~ン。

Posted by: わきた・けんいち @ February 16, 2006 03:58 PM