1949年 喜多村先生のクロッキー | [ ABOUT , Art/Design ] |
先日、喜多村知先生の奥様からお電話をいただいた。「トイッチャン(昔はそういわれていた)を描いた絵が出てきたから、展覧会の会場でお渡しします」とおっしゃったのだ。
今回の展覧会、「喜多村知−水彩・パステル展−」は神保町のすずらん通りの「いのは画廊」だ。
早速、お伺いしたのだ。
展示されている先生の水彩とパステルの作品群、色合いが美しく、その強い意志を感じる筆致を超えて、何か和ませる風景画のすてきな世界であった。
会場には喜多村先生のご長男の喜多村良夫氏がおられた。あの頃お会いしただけだから50年以上ぶりなのだ。そして、スケッチブックに挟まれた三枚の絵、クロッキーというべきかがあった。一枚には裏表に描かれていたから四枚のクロッキーということになる。一枚に日付が書かれていた。24/11.5とあった。
昭和24(1949)年、7才の頃、八王子の大和田の喜多村先生のお住まい兼アトリエにお伺いするようになった。そのクロッキーの日付11月5日は土曜日、きっと先生のところに、母に連れられて初めて伺った時であろう。先生にとって初めての少年に興味を持たれてスケッチされたのであろう。なんでこんなに耳が大きいんだ.....なんていう先生の声が聞こえそうだ。
このクロッキーを挟んでくださったスケッチブックは、私に頒てくださった「ぶどう棚」を描かれた、そのスケッチブックであった。一緒にトイッチャンにあげようというご配慮、うれしく、感謝にたえないのである。
玉井さん、どうも。
今回、こんな私の子供の時を写生してくださっているとは知りませんでしたので、びっくりしました。
なんだか、タイムカプセルからでてきたみたいです。
この時から2年ほど、先生のところに通うことになります。
思えば、Blogからはじまってこんな風に時間がひろがってきた、すてきな物語ですね。層をなして重なっているのだと思えば遠く広がる。Blogというのはおもしろい奴です。
ところで、幼にしてすでに一言ありそうな表情ですね、この子は。