タイムカプセルとしての blog | [ Blog ] |
このブログ aki's STOCKTAKING のアーカイブに、「喜多村 知」と題する、洋画家・喜多村 知についてのエントリーがある。
自分が彼の弟子だったこと、そして僕が手に入れた彼の「ぶどう棚」というスケッチの話だったのだ。
そのエントリーは、ブログを始める前の事務所 LANDship のホームページのコンテンツとしてあったのだ。
そのホームページ上のコンテンツが一つのきっかけとなるのを、その時は知るところではなかった。
2001年5月の初め、未知の方から一通のEメールが届いた。
Subject: 突然失礼いたします
Date: Tue, 8 May 2001 15:04:04 +0900
From: xxxx@sxxxx.com
To: xxxx@landship.co.jp
X-Mailer: Internet Mail Service秋山さん
はじめまして。 秋山さんのHPを拝見し、お礼を言いたくメールしました。
私は、喜多村知の孫のM.Mと申します。
仕事中にふと祖父のことが載っているサイトはあるかな? なんて軽い冗談で検索したら、秋山さんのサイトにぶつかりました。”ぶどうの棚”の絵を見て、あまりにの美しさと数々の思い出に涙があふれてそうになりました。 小さい頃生前の祖父と共にスケッチ旅行について行き、絵を描く後ろ姿を何度となく目にしてきました。この絵もその一枚なんだと思うと,長い年月を飛び越えてまるで私もその場にいるかのような臨場感に今あります。 本当にいい絵ですね.....
多くの人に祖父の絵を見てもらいたいと願っております。
world web は世界中の人に見てもらえるすばらしいチャネルです。私も”いつかやろう!” と考えていたので、先に越されてしまって悔しいけれど、秋山さんにはとても感謝しております。
今日、家に帰ったら母に報告します。きっと喜ぶことでしょう。どうもありがとうございます。
喜多村先生のお孫さんが検索サイトから、僕の先生についての記述にたどりつくなんて、想像もしていなかったことだった。
ネット上の膨大な情報から自分にとって必要な一つの情報を探り出す、検索サイトはその道具なのだ。
意識的にでなくても、ブログは誰にでも構築できる一つのデータベースだ。
自分自身に必要なデータベースであり、それが他者にとっても開かれているということが重要なところなのだ。一つ一つのブログのサイドメニューには検索、あるいは search の機能がついている。そしてその総体、全体ウェブから検索しうる Google のような道具を持っているのだから。
先のエントリー、「皇紀2594」は、父の記録を書留めておこうという僕のデータベースであった。
父はたくさんの写真を残していったが、何かデジタルな記録を残していったわけではない。記録、あるいは痕跡としてブログに残しておくことができるような気がするのだ。
ふと気がついた。将来、誰かが検索をする時、その為の情報を入れ込んでおこうと考えた。父の写専の同期生32人、その方々のお名前を記録しておくことが必要なのではないかと考えたのだ。それはタイムカプセルのように準備してあるのだ。
blog はデータベースなのだ。そレ自身の仕掛け、コメント、トラックバックによって横につなげられるデータベースなのだ。、それらは将来にわたって、自分のみならず他者にとっても機能しうるタイムカプセルなのではないか。
ブロッグがインターネット検索にヒットしやすい。
一方、検索の上位にランクされるよう血眼で奮闘している人々がいます。
ブロッグは更新の容易さが魅力で
その容易さゆえにそのブロッグをやっている人のもっている、あるいは抱えているキーワードに関する記事がどんどんブロッグの中に降り積もって厚い厚い層をなしています。面白いブロッグ、定期的に覗いて見たいブロッグというのはそういうものだと思います。そこに降り積もったその層が厚いこと、それが「ブロッグがその人を表す」ということとつながっていると思います。
インターネット検索にヒットすることに夢中な人々は表面的なキーワード遊びをしているだけのような気がします。
もっと深いところにブロッグの力は隠れている。
AKIさんの言われる「タイムカプセルとしての・・・」というのは、
降り積もった地層を掘り返す考古学的ブロッグの力ですね。
ホントに、その通りだと思いました。
真鍋さん、いつもご覧いただいている由、ありがとうございます。
八王子に引越して、父母の記録を見、新しく八王子を見、そんなエントリーが増えているようです。
そんな古い記憶をデジタル化したとなると、父のアルバムはもう、しまっちゃっていいか.....という気分になります。
いつも面白く拝見しております。八王子のこと、お父上のこと、自分のルーツに最近関心があること、分かる気がします。「自分自身に必要なデータベースであり、それが他者にとっても開かれているということが重要なところなのだ。」確かにそうですね。