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私の自転車 /1 アルプス・パイオニア

CYCLE

今の私の自転車はモールトンAM-5だが、自転車は私にとって一つの歴史というべきものなのだ。

ALPS PIONEER 1958_1-1.jpg

中学校に入ってから自転車に乗れるようになったなんて、私達の世代では少ないのに違いない。

子供時代に子供用自転車なんていう贅沢な品物を見かけたことはない。皆、子供のくせに「三角乗り」とかいう大人用の大きな自転車のフレームの三角に足を入れ、それでもバランスよく乗っていたのを見ていた。そんな私は、小学校では身体は大きかったが「三角乗り」はおろか、自転車にまたがることさえ、やらなかったのである。

そんな私に転機が訪れた。中学生になってボーイスカウトに入ったのだ。
あのような組織は、誰でもできることができないということは妙に目立つし、そのような事を教育するのに対して、学校や家と違った、なかなか優れた組織なのだ。
すぐ自転車に乗れない私は訓練させられることになり、別に青竹でしごくというようなことはないが、まぁ、今までの乗れなかったことがウソのようにすいすい乗れるようになったのだ。
ところが、乗れるようになったということを通り越して、「自転車大好き少年」に変身してしまったのだ。
これに関してだけボーイスカウトは私にとって人生における一大転機をもたらしたのだ。

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私が中学生になった1955年頃は、第1次サイクリングブームというのか、サイクリング車という、今までの重い暗い実用車という世界からは段違いの、3段変速ギァ付きの高度な自転車が登場したのだ。
その頃、小坂一也なる歌手が歌っていた「サイクリング、サイクリング、ヤホー、ヤホー・・・」と。

中学生の仲間で、その頃できたばかりの小河内ダムにサイクリング(小自転車旅行)なる企画が持ち上がり、私も参加した。サイクリング車なるものを、皆もっているわけはなく、貸自転車というシステムがあった。記憶によれば一日500円であったと思う。今ならさしずめ5000円なんてところではないだろうか。
その時、皆で自転車屋でサイクリング車を借りた時、私のだけ変わっていたのだ。皆のは一般的な外装式3段変速だったのだが、私のは内装式3段変速、英国の BSA( British Small Arms ) 社製のものであったのだ。
他の奴のと違う舶来という事で、私は大いに満足、その日一日大いに皆で楽しんだのであった。

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そんなことから、私の頭の中に、一人で自転車旅行をしたいという欲求が大きくなってきた。高校に入ったら旅行用の自転車が欲しいと、母親に依頼(強迫)したのであった。

めでたく高校受験をクリア(危ういところであったが)自転車を買ってもらった。
その頃のサイクリング車としては高級、神田にあったアルプス社のパイオニアというセミオーダーのサイクリング車を選んだ。フレームはハイテン、塗装はその頃の流行りの「黒ツヤ消し」、変速機はたったの後3段、アルミのリムもないという、今考えたらとんでもなくお粗末なものであった。ところが普通の自転車に比べたら大変高価なものであった。

高校1年の夏、めでたく八王子・水戸間の往復をなした。
その経験を活かして、高校2年の夏、1959年7月26日〜8月5日の10日間(実動7日間)、八王子、軽井沢、長野、新潟、新発田、会津若松、郡山、水戸、八王子という1000km の自転車旅行を敢行した。なかなか少年時代は自転車でがんばったのであった。
今、思い出しても、その頃の地方の道路ってひどいものでありました。少なくとも軽井沢までは舗装されていましたが、その後は、かろうじて街中だけが舗装、軽井沢を出て、小諸市内、その次は上田市内にしか舗装されている道はなく、あとはひどい砂利道でありました。
ロードレーサーでなんてのはまったく走行不可能でありました。もしあったとしたら、今のマウンテンバイクの方が適当だったでありましょう。

この1000km旅行のために、前後にキャリアーを新調した。その頃のその手を作ってくれたのは東叡社(トーエイ社)であった。トーエイは超高級車のオーダーメードで有名なお店であったが、私のような高校生にも丁寧に応対してくださったという記憶がある。
その前後キャリアーで前にはフロントバック、後ろにはサドルバックを着け、キャリアーの上に荷物も括り着けることが可能になった。
その頃、部品といえば全て日本製、今のように外国製が手に入ったりするわけではなかった、唯一、英国ルーカス社製のサイクルメーターという距離計があった、旅行中の距離の記録をつけるという目的の為、用意したのだった。1000km旅行の前に取付けて出かけたが、旅行途中で壊れて作動しなくなった。とにかく舗装道路なんてちょこっと街中しかなかったから、埃と振動とで壊れてしまった。

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アルプス・パイオニアでの1000km旅行、これが私にとっての第一期少年期の自転車の話しなのだ。
次回は第二期少年期の自転車、大学に入ってからの自転車、赤いランドナーの話だ。

●私の自転車 /1 アルプス・パイオニア
私の自転車 /2 赤いランドナー
●私の自転車 /3 青いマウンテンバイク

Posted by @ November 8, 2003 07:27 PM
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