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私の自転車 /2 赤いランドナー

CYCLE

これは第二期少年期の自転車、大学に入ってからの自転車、赤いランドナーの話だ。

AKIYAMA_bi3.jpg

1963年、芸大の2年生の時、再び自転車熱がぶり返した。

一年下に道家駿太郎氏が入ってきて、彼に出会ったのが原因だ。すっかり自転車を忘れていたのに、彼が作りつつあるキャンピング用車の話に魅せられ、再びルネルスのランドナーを夢見てしまった。

そんなこんな、三田の山王自転車で、中古のランドナー風の自転車を手に入れた。

もう、5年前のアルプス・パイオニアの時代ではなかった。全て進化し、ヨーロッパからの部品も輸入され、ルネルス自体も手に入りそうであったし、ルネルス風の自転車を自分で組むのも可能な時代であったのだ。
山王自転車で手に入れたのは、どなたかがトーエイ社(東叡社)でオーダーしたハイテンション鋼製の赤いフレーム、トーエイ社(東叡社)オリジナルのセンタープルのキャンティブレーキが魅力的であった。トーエイ社(東叡社)製の前後キャリアーもついていた。ホィールは 650B というフランス規格のキャンピング車やランドナーという旅行用車に使われるものだ。チェンホィールは杉野のダブル、ディーレーラーはなかったが後ギァ・フリーホィールは5段で10段変速ということになる。今考えるとずいぶんと低レベルであるが、その頃はこんなもんであったのだ。
ちょっと手を入れれば乗れる自転車であったが、このトーエイ社(東叡社)製フレームに部品を変えて自分好みのランドナーに仕立てていこうという魂胆であった。

その頃、輸入自転車部品は学生の小遣いでも買える程度のものであった。
まず、マビックのアルミ製リムと 650B のオープンサイドのバルーンタイヤで軽量化、ブルックスのサドル、ディーレーラーはユーレー、フィリップスのハンドルバー、その他フランス製の.......と徐々に自分のランドナーに仕立てていったのだ。


芸大建築科には全員で、春に遠足にでかけるという行事があった。

1964年、3年生の4月、その遠足は一泊どまりで信州にバスででかけるというものであった。
その帰り、軽井沢で下ろしてもらって、軽井沢のユースホステルに一泊して自転車で帰ってくるという軽いサイクリングを計画した。

大行征と二人、それを実行した。

僕はその赤いランドナー、大行は道家氏から借りた 700C のロード練習用自転車であった。軽井沢から碓氷峠を下り、高崎からまっすぐ中仙道を江戸、上野の学校まで快走.......ではなかったが順調に帰り着いたのであった。

写真は碓氷峠、松井田あたりか、まだ元気な頃。

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Oyuki_1.jpg碓氷峠を快走する大行征

その後、その赤いランドナーは街乗り自転車として使い続けていたが、今は小田原の鈴木一彦さんのところに部品保存状態である。

しかし、赤いランドナーといいながらカラー写真がありません。まだ、この頃、カラー写真って特別なものだったのです。

私の自転車 /1 アルプス・パイオニア
●私の自転車 /2 赤いランドナー
●私の自転車 /3 青いマウンテンバイク

Posted by @ September 17, 2004 07:53 AM
Comments

中山さん、はじめまして。
鈴木一彦さんとは建築設計の上での友人であると同時に自転車での友人でもあります。というよりも、鈴木さんは自転車(最近の)についての先生というべきかも知れません。

Posted by: 秋山東一 @ November 3, 2005 12:37 PM

アルプスで検索をしていたらHPを見つけ楽しく読ませていただきました。何より驚いたのは、小田原の鈴木一彦の名前が出てきたことでした!彼は、同級生で中学の頃からアルプスの自転車で輪航し夜叉人峠や信州峠など楽しい思い出をつくってくれた無二の親友なんですよ。私の現在乗っている自転車も彼の手により蘇りました。中学のガキが神田のアルプスまで出かけ、石井さんと言う社員さんにチネリじゃないユーレーじゃないなど今思い出してもご迷惑をおかけしたと思います。
鈴木一彦(チャスーと呼んでいる)に会った際この素晴らしい出会いの件をお話いたします。

Posted by: 中山 啓(ヒロシ) @ November 2, 2005 06:11 PM

kawa さん、こんにちは。

私のこの赤いランドナーのブレーキは東叡社オリジナルの「軽合金製540T式カンテイレバーブレーキ」でした。もう、そのころでも古かったのかもしれません。
ユーレーのアルビーにしたのはルブールのイラストのディアゴナールに憧れたからです。あの前キャリアのジョスと懐中電灯の組合せにゾクゾクしたものです。

ユーレーの説明書をエントリーしてあります。
http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000485.html

Posted by: 秋山東一 @ September 25, 2004 10:15 AM

懐かしいですね。私が70年ごろに作ってもらった茶メタのトーエイも、2枚合わせのマファックのカンチにサンプレックスでした。当時既にユーレーのディレーラーは一般的ではなくよほどの好き者というイメージがありました。レバーをワイアで手元まで持ってこずに、チエンホイールのすぐ上に直接長いレバーが出ているやつに憧れました。

Posted by: kawa @ September 23, 2004 11:23 PM

私が70年ごろに作ってもらった茶メタのトーエイも2枚合わせのマファックのカンチにサンプレックスでした。当時既にユーレーのディレーラーは一般的ではなくよほどの好き者というイメージがありました。レバーをワイアで手元まで持ってこずに、チエンホイールのすぐ上に直接長いレバーが出ているやつに憧れました。

Posted by: Kawa @ September 23, 2004 11:15 PM

鈴木さん、どうも。
ランドナーの世界もずいぶんと様変わりしているようですね。マウンテンバイクの登場は 650B も駆逐してしまったようですね。

Posted by: 秋山東一 @ September 22, 2004 09:16 AM

秋山号、部品保存担当者です。
アルプスからトーエイと自転車少年の王道ですね。秋山号再生は部品の時代考証による収集と私の時間次第です。すんません。
自転車のおかげで建築の世界に入るずっと前からキャンティレバーの意味を知っていました。それまで見たブレーキよりも自転車にくっ付いてる!という印象で大変感動しました。僕のはマファックで軽合金2枚板のシンプルな構成のせいか今でも現役です。simplexも良いですよ(笑)

Posted by: 鈴木一彦 @ September 21, 2004 03:43 PM

36ph さん、こんにちは。
ユーレーと書いただけで、アルビとくる。お主できるなという感じです。
いまさら古い部品をという感じですが、自転車の部品なんぞもエントリーしていきたいと考えています。

Posted by: 秋山東一 @ September 21, 2004 08:17 AM

アルビいいですね。

Posted by: 36ph @ September 18, 2004 10:55 AM