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東叡社(トーエイ社) /1959

CYCLE

ALPS PIONEER 1958_3.jpg1959年、高校2年の夏休み、愛車アルプス・パイオニアによる単独1000km の自転車旅行を計画した。前年に八王子ー水戸間往復の小旅行を試して、次は実働7日全行程10日1000kmをやってみようと考えたのだ。

10日間ともなると、それなりの荷物を運ばねばならない。現在のように至る所にコンビにがある時代ではないのだ。それまでの一日程度の旅行ならばサドルバッグといわれるサドルの下にぶらさげるバッグ一個で十分だったが、とにかく、旅行用のキャリア(荷台)を必要としたのだ。

その年の春、アルプス・パイオニアを改造する計画に着手したのであった。


そんなキャリア(荷台)は既製品ははなく、作ってもらうほかなかった。

その頃のその手を作っていたのは東叡社(トーエイ社)であった。
スティールの棒を溶接、シルバー塗装のキャリアは美しいものであった。前キャリアにつくヘッドランプ(三共だったか)のガードなんてところがカッコよかったな。
トーエイは超高級車のオーダーメードで有名なお店であった。ランドナーという前後にカッコいいキャリアを装備した自転車を作っていたのだ。そこで初めてフランス型の自転車というものがあるのを知ったのであった。

とにかく、そんな東叡社(トーエイ社)がキャリアだけ作ってくれるのかどうか分からなかった。
住んでいる八王子は遠く、聞きに行くというわけにもいかず、葉書で東叡社にカタログを注文と一緒に尋ねたのであった。そして、その返事が下にある。そして、具体的な前後キャリアの注文を往復葉書でしたのであった。東叡社(トーエイ社)は、私のような高校生にも丁寧に応対してくださったのだ。

toei1959_2.gif

その後、どういう連絡があったかどうか記憶がないが、パイオニアに乗って上野の東叡社まで、キャリアの取付けてもらう為にでかけた。前キャリアを取付け用の台座を前フォークにろう付けする必要があったからなのだ。
上野駅からほどなく「台東区豊住9」都電通り(今、昭和通りの台東区上野7-13あたり)に、小さな下町の店舗という感じであった。

初めての訪問であったが、丁寧に応対してくださった。段取りよく自分の目の前で、ろう付け工作、前後キャリアの取付けが完了した。とてもうれしかったのを覚えている。


1959年7月26日、夏休みの初め、前後キャリアで旅行用に変身したアルプス・パイオニアで八王子、軽井沢、長野、新潟、新発田、会津若松、郡山、水戸、八王子という、1000km・10日間(実動7日間)の単独自転車旅行にでかけたのであった。
前キャリアにはフロントバッグ、後にはサドルバッグの他にに後キャリアにも荷物をのせた。非常用に寝袋まで積んでいったのだった。横倒しになったパイオニアを引き起こすのも大変というくらいの荷物であった。


東叡社(トーエイ社)はいまでも、オーダーメードの高級自転車メーカーとして存在しているのだ。

オフィシャルなウェブサイトがある。1955年創立、今年が50周年ということで「東叡社創立50周年記念パーティ」が開催されるようだ。
そのサイトに「東叡社紹介」というページがあり、たどっていくと「社名の由来」「東叡社の歴史」とある。
東叡社は1955年上野、台東区豊住9に設立された。創業者は打保(うつぼ、とお読みするのか)梅冶氏とのこと。そこに1959年の写真があった。そこには打保梅冶氏がいた。

それは1959年今から45年前、私が初めて東叡社に伺いキャリアを取り付けていただいた時、丁寧に応対してくださった方であった。その写真そのまま、小柄な体躯をまっすぐ立てて、その大きな眼で目をそらさせず応対してくださったのだ。

初めてお名前を知ることとなった。手元にある2通の手紙・葉書も打保梅冶氏の手になるものであろう。


その写真、打保梅冶氏の向かって右隣の人物は鳥山新一氏である。日本のサイクリングの父、日本にフランス型自転車を紹介定着させた方である。
1959年手にした、東叡社(トーエイ社)のオーダーメード発注書、カタログ(というより鳥山新一氏編纂のサイクリング自転車啓蒙パンフレット)である。

「注文受書」の下覧にブレーキとあり、3個の選択肢がある、東叡社オリジナルのT-540、東京、吉川の3種類しかない。まだ、ヨーロッパの進んだ自転車部品は輸入されてはいなかったのだ。外国部品が手に入るようになるには、後数年を要するのだ。


BICYCLE Archives
私の自転車 /1 アルプス・パイオニア

Posted by @ September 29, 2004 11:09 AM
Comments

味岡学さん、はじめまして、こんにちは。
東叡社についてのエントリー、もう半世紀近くになった大昔の話ですが、いろんな方が探され訪問してくださいます。自転車も時代とともにですが、東叡社のクラフトマンシップも永遠なれと思っています。

Posted by: 秋山東一 @ January 22, 2006 09:07 AM

偶然HPを拝見しました。懐かしい。1973年頃、大阪から夜行快速で町屋の工房に行き、デモンタ(分割式ランドナー)を注文しました。当時サイクリング部で東叡社はあこがれのメーカーでした。青春の宝物で、今も室内に鎮座しています。厚塗りの塗装も一部はげはあるが、全く狂いもなく(無事故)、特製の輪行袋共々現役で使用中です。乗り手側ははかなり「がた」がきていますが。5分前に駅に飛び込んでも列車に乗れるすばらしさは捨てがたい。今から5年前、短期ツアー中に徳島港で、若いサイクリスト集団に「東叡のデモンタだ」と声をかけられ、少し鼻をぴくぴくさせた事も良き思い出です。本当にすばらしい自転車であり、これを作られた東叡社の方の心意気を感じます。今後の発展をお祈りします。

Posted by: 味岡 学 @ January 21, 2006 04:09 PM

小林保明さん、こんにちは。
古い話におつきあいいただき恐縮です。

1959年のあの頃、上野の小さな店舗というか工房に伺った時、初めてお会いした打保梅冶氏が凛として応対してくださったのを、昨日のことのように思い出します。

Posted by: 秋山東一 @ August 23, 2005 08:26 AM

秋山東一 様

私は、昭和44年、東叡社に入社、途中15年程ブランクがありましたが、縁有り平成7年に出戻り、現在に至っております。
パンフレットの裏表紙の「吾国最高の技術と感覚による・・・」という言葉に、何か心惹かれるものがあり、思わず書き込みをしました(初めてのことです)。
創立者、打保(うちほ)梅冶の心意気を感じます。
私が入社した時は既に亡くなっており、返す返すも残念です。
打保梅冶には遠く及びませんが、同じ気構えは持ち続けたいと思います。

Posted by: 小林 保明 @ August 22, 2005 10:22 PM

秋山東一様
はじめまして。トーエイオーナーズミーティング事務局の小泉でございます。偶然ホームページを拝見し、書き込みをさせていただいております。さて、来月9月18日上野精養軒にて東叡社創立50周年のお祝いをミーティングとして行います。もしお時間がありましたら大先輩にも是非御出席いただきたいと思います。私のような若輩者がミーティングを立ち上げ今年で8回目となります。東叡社も危機を脱し忙しく頑張っています。
ご参加お申し込みはーーーーーーーーーーーー小泉直人 まで80円切手を同封いただきたく思います。よろしくお願い致します。失礼致しました。

Posted by: 小泉直人 @ August 21, 2005 01:17 PM

ここも又、マイナーな骨董のようなエントリーにコメントいただき、ありがとうございます。もう、忘れかけていたことが古いファイルからでてきて、このエントリーになりました。その上、東叡社が健在なこと、創業者の打保梅冶氏のことまで知ることになりました。
しかし、今もって東叡社製の自転車にお乗りになっているのはすてきですね。

Posted by: 秋山東一 @ November 17, 2004 09:40 AM

東叡社、いまでも健在でしたか
なつかしいです(笑)
32年前に、デモンターブルというランドナーの一種の
仏蘭西風の自転車を頼んで、こしらえていただき
いまだに、ほそぼそと使っています。
町屋に工房があった頃の話です。
すっきりとした工作と柔らかいニュアンスとを
バランスよく併せ持つ加工仕上げが今も続いているのが
拝見出来て、嬉しく感じました。
ps
この自転車では、ロシアから東欧のほうにも足を伸ばしました
身体のほうも、伸びきっていた頃でした(苦笑)
いまは多少ちじんできたような気配です

Posted by: JSB @ November 17, 2004 02:24 AM