三原橋・銀座/傳八 | [ Architecture , Place ] |
東京新聞に「銀座から名画座消える シネパトス 来春閉館」なる見出しが……、そうなると、傳八のある土浦亀城設計の地下への入口である双子の建物も無くなったしまうことに気がついた。
まぁ、周辺の工事によって、やや後ろに傾いてしまった状態では、そう長くは持たないとは思っていたが……、いつまでもあると思うな……ではある。
4丁目の交叉点から晴海方向左側の建物の二階に居酒屋・傳八はある。そこは1987年……25年も前に LAND 私が設計したものであるのだ。それについて、初めて書いたのは、2003年のブログを始めてからだが、不思議な場所「三原橋」という扱いであったのだ。
今では建築家・土浦亀城の設計であることが知られているが、傳八設計当時は誰も知る由もなくであったのだ。しかし、どなたかが設計したモダンデザインであることは明確……、そんなモダンを強調する角丸横長のスティール窓枠をデザインしたのであった。現状の窓枠は二代目のものと思うが、横長の意匠はそのまま……なのである。
傳八は100席以上もある大きな居酒屋だが、その最大の特長は銀座を見下ろしながら飲める……という場所にあることなのだ、従って、窓はそのデザインにとって大きな要素であるのだ。
この夕暮れので傳八の写真は Kai-Wai の masa さんのものだが、2006年3月に行われた「アースダイニング@傳八」の時の写真である。
もはや、それは未来都市に取り残された近代の残骸のように見えたからだ。
Ikeuchi さんが Facebook 上で言っておられたが、まさしく「ちいさいおうち」状態だ。
世の中が皆ツルツルピカピカになってしまう時代に、残された一つの小さなオアシスのような空間が残って欲しいと思うのだ。
これらの写真を撮られた masa さんは、その展示されていた図面の写真を公開されている。
● aki's STOCKTAKING: 三原橋 /1965
2011年4月、三越新館の上からの写真が追加されており、新しい視点での写真は貴重だ。
竣工から13年後ということになるが、土浦亀城のオリジナル設計のファサードは、角丸でもなく縦型だったということが分かる。ただ、柱型はファサードと一体化しているようだ。
私が1987年に初めて見た時、建物は事務所として使われて廃虚化しており、ファサードについての記憶は定かではない。
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追記 120802
iGa さんが三原橋という場所の諸々、ご調査……、あの場所のいかがわしさまで発見してくださった。
● MADCONNECTION: "underground" or "underpass" or "underbridge"
masa さん、どうもです。
写真をお貸しいただいて……ありがとうございます。二つともびっくり名写真で、時間的な落差みたいなものをエントリー上で見てもらいたかったのです。
まあ、傳八のお味は普通……ではありますが……。あの場所がより良い場所によみがえって欲しいと切に思うのです。
秋山さんのエントリーのトップに、こうして写真をフィーチャーしていただきまして、ありがとうございます。光栄です! しかし、僕は傳八には2回ご一緒させていただいたと思いますが、美味くない...ことはなかった!ように記憶しています。
Posted by: masa @ July 23, 2012 11:03 PMShopMaster こと、菅さん、どうもです。
傳八は、美味くない安くない……ですが、唯一、銀座を眺めながら飲める場所であります。
傳八のオーナーは永田昌民氏と親しいのですが、永田氏はあの手の仕事を好まないので、結局、私めが……ということになったのです。
そうなんですか!ヒジョーに残念であります。ということは5丁目へはどうやっていけばいいのか???
「傳八」では一度だけ飲んだことがあります。お別れパーティ楽しみにしてます(笑)・・・