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三原橋 /1965

Place

ik164960.jpg毎日新聞に「昭和毎日」なるサイトがある。

「古き良き昭和の時代へタイムトラベル。あの頃の懐かしい写真やニュースを掲載します。」なる能天気なコピーが掲げてある。

まぁ、太平洋戦争を通り越して、戦後の時代、東京タワーや東京オリンピックを懐かしむ気分……なのであろう。

そこにある「昭和の地図」では、都心の地図とリンクした形で、その頃……1960年代の写真を見ることができる。何気なく「懐かしい」写真を見ていたら、この写真を発見……三原橋ではないか。

晴海通り、三原橋地下街付近。三原橋交差点と銀座4丁目交差点の間のこの地点に、かつて三原橋が架かっていた。三原橋の架かっていた三十軒堀川は中央通りと平行して流れていたが、戦後まもなく銀座の瓦礫処理のために埋立てられた=東京都中央区銀座東4丁目(後の銀座4丁目)で 1965年(昭和40年)4月25日、池田信(いけだあきら)さん撮影 毎日新聞社刊「1960年代の東京」29ページ掲載

三原橋は、晴海通りを銀座四丁目の交差点から歌舞伎座方向に向かった次の交差点だが、現在の「三原橋交差点」の位置とは異なり、写真の説明にある「三原橋地下街」が昔の三原橋の場所である。この写真の左手が四丁目、左手に向かう道路の緩い勾配がかすかに橋の記憶をとどめているのだ。

この三原橋のあった場所は、私にとって懐かしいというよりもより親しい場所ではある。「傳八」なる居酒屋の場所であるからなのだ。

 ● aki's STOCKTAKING: 三原橋
 ● アースダイニング@傳八 - Kai-Wai 散策
 ● 傳八ビルのルーツ - Kai-Wai 散策

実は、周辺ブログ界で、この場所の変貌ぶりが大いに話題になっているのである。

 ● 昨今の三原橋 - Kai-Wai 散策
 ● BLOWIN' IN THE WIND : 昨今の三原橋


追記 100411

この三原橋については、最初、居酒屋「傳八」のある不思議なビルとしてエントリーしたものであった。それが建築家・土浦亀城の設計であることが分かってきたり……、その推移は、まさしくネットの力、そのものなのである。この施設が「三原橋センター」「三原橋地下街」と呼ばれていることも……判明(昔ちゃんと調べれば分かったかも……)というわけで、新しいリンク先を付け加えておこう。

 ● love the life / life : 銀座の土浦亀城
 ● 三原橋センター | 収蔵庫・壱號館
 ● 銀座・三原橋センタービル|とんとん・にっき


追記 100414

このエントリー「三原橋 /1965」の元本「1960年代の東京」を手に入れた。
 ● aki's STOCKTAKING: 1960年代の東京


Posted by 秋山東一 @ April 11, 2010 02:48 AM
Comments

shin さん、どうもです。
いやぁ、それは問題ですね。ところで、次にエントリーするつもりですが、この「1960年代の東京」の写真集、とても面白いですよ……。

Posted by: 秋山東一 @ April 13, 2010 02:34 PM

イヤー賑やかですね三原橋、広がりますね...
実は僕の大叔母(明治中生まれ)は自分の家を土浦亀城に頼みました
大叔母は堅物の研究者で東大大好きだったので、父には頼まなかったようです

Posted by: shin @ April 13, 2010 12:21 PM

fuRu さん、どうもです。
歌舞伎座も建替え……いろいろと変わっていきますね。この写真の載っている「1960年代の東京」の副題は「路面電車が走る水の都の記憶」ですが、1964年の東京オリンピックの開催に際してたくさんの川に、川の上に高速道路を造ってしまい……すっかり、水のないグロテスクな都市に成り果ててしまった……ようですね。

Posted by: 秋山東一 @ April 12, 2010 08:15 PM

先程まで歌舞伎座におりまして、事務所に戻って秋山さんのブログを見れば、さっき前を通った建物が。
傳八の入っているビルの後ろのビル。masaさんの写真がそのスケール感の暴力的な違いを雄弁に語っていますね。「緩い勾配の記憶」と対照的でした。

Posted by: fuRu @ April 12, 2010 04:42 PM

秋山さん

↓ ありがとうございま~す♪

Posted by: わきた・けんいち @ April 12, 2010 09:03 AM

わきたさん、どうもです。
お待ちいたしておりますですよ。「川の地図辞典 /多摩東部編」なるお道具もありますし、楽しみです。

Posted by: 秋山東一 @ April 12, 2010 04:31 AM

秋山さん

わ~~い、アースダイニングですね。
うれしいです!!
ちょっと、プチ・アースダイビングもできたらいいな…なんて思っています。

Posted by: わきた・けんいち @ April 11, 2010 09:43 PM

わきたさん、どうもです。
masa さんの写真のビル工事のおかげで、傳八のビルは傾いてしまいましたが、まだ保っているようです。一度、無くなってしまう前に、わきたさん上京時にお時間を作っていただいて、JEDI の会合を開きましょう。

Posted by: 秋山東一 @ April 11, 2010 03:43 PM

アースダイニング「傳八」、もうちょっと懐かしい記憶になりかけています。いつだったかな、地下道の散髪屋で髪を刈ったような…。masaさんが撮られた背景のビル、びっくりしますね。

Posted by: わきた・けんいち @ April 11, 2010 02:43 PM

今井さん、どうもです。
かすかな勾配……は、ちょっとオーバー気味な表現でありましたですね。現地に立つと明らかに坂道で……であります。
新しく「三原橋センター」なんて言葉で検索してみると、いろいろ出てきてネットの情報が充実してきているのを感じます。

Posted by: 秋山東一 @ April 11, 2010 12:22 PM

この「かすかな勾配」にぐっと来ました。
ネットの力まざまざですね。さらに多くの人にこういう「まざまざ」のことを知ってもらいたいです。

Posted by: 今井孝昌 @ April 11, 2010 11:25 AM

masa さん、どうもです。
いえいえ、私の悪い癖を煽ってはいけませんです。又、どこかで……やって……、深く反省……でありますです。
この三原橋の話も、ずいぶんと普及して、「三原橋センター」「三原橋地下街」とか……、そこにあった川で水遊びされた方までおられる……、これもネットの力と思っております。

Posted by: 秋山東一 @ April 11, 2010 09:48 AM

AKiさんのブログからリンクいただく栄誉をありがとうございます!
ところで、しかし、三原橋と言えば、周辺ブログ界では、やはり「傳八における秋山さんの独演会」だと思います(^^;

Posted by: masa @ April 11, 2010 03:50 AM