050818

八王子大和田橋 /2005 夏

ABOUT , Hachioji

先日の「震災時帰宅支援マップ / ベンチ」の写真、「[大和田5]の交差点から大和田橋方向を望む」の先、左手に大和田橋がある。


click!


click!

「大和田橋北詰」の信号から大和田橋を望む。なんだか、いろんな夾雑物に囲まれて、昔の美しい端の面影はない。橋の顔である「白い御影石で分離派風の意匠の立派な」と書いた親柱もずずぼけて、なんだか情けない感じである。


本当は、このエントリーは、8月15日にするつもりだったのだが、ちょいと遅れてしまった。
この「大和田橋」、私の知る限り八王子唯一の「戦跡」なのだ。

1945年8月2日未明、八王子は B29 の大編隊によって空襲を受ける。その時、八王子市街地の80%は焼失し、死者450名余、負傷者2,000名余の損害を被った。

その時の弾痕が橋の上、歩道上に残っているのを保存、記録してある。橋の親柱脇にこのプレートが四ヶ所設置されている。

owadabashi050816_5.jpg
click!

八王子空襲のその時、小西六の技術者であった父は満映に出向し不在、母と私と妹の三人家族、私は三才弱、妹は一才弱であった。
この大和田橋から直線距離でたかだか150mに家があった。

その日の日中は度々の空襲警報で疲れ切り、ぐっすり寝込んでしまい、隣り近所の方々の避難を誘う声も聞こえず、母が空襲に気付いたのはすでに上空にB29、爆撃の光と音であった。母は妹を背負い、私の手を引き甲州街道を日野方向の山の方に逃げたと聞いている。

その時、通り過ぎた小屋の扉、トタン板のたくさんの穴から、後の家が燃える光がもれ、それが満艦飾の軍艦に見えたのが、私の最初の記憶である。

まだ平和だった、1943年の大和田橋の写真がある。


click!
owadabashi050816_6.jpg

大和田橋の真中より北より、欄干の足下にプレートがある。国道20号、日本橋からの距離か。

Posted by 秋山東一 @ August 18, 2005 01:26 AM
Comments