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八王子大和田橋 /1943 夏

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1943年春、父と母と私は中野区鷺宮から八王子に移り住みました。

大和田町という八王子市街から北東に浅川を渡ったところに住みました。夏、私を連れて大和田橋の近くの浅川での水遊びの写真が残されています。写真家であった父が撮ったものです。

この大和田橋は1942年1月に竣工したばかりの橋です。すっと弧を描く形は最近の橋と違った美しさを感じます。欄干や南北の塔(親柱あるいはエンドポストというらしい)は白い御影石で分離派風の意匠の立派なものです。
この大和田橋を遠くに見る写真を、60年も経った今の写真を比べても、遠くの山並みはなにも変わることはありません。


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1943年、戦時下の時代ですが、まだ、のどかな生活があったようです。
私はもうすぐ1才、母は23才です。

2年後の1945年8月2日未明、八王子市街はB29の空襲にさらされ燃え尽きてしまいます。父不在のなか、母は妹を背負い私の手をひき逃げました。その後、広島長崎に原爆、戦争が終わるのは13日後でした。

この大和田橋には、その戦禍を記録するプレートと橋の被弾個所にマークがつけられています。

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GEODESIC の栗田伸一さんが変色していた写真をきれいにしてくださいました。そのきれいな写真に換えました。040124

Posted by @ January 23, 2004 09:15 AM
Comments

むらのけいいちさん、はじめまして、こんにちは。
貴重なお話ありがとうございます。私は1942年生まれですので、10歳年上であらせられます。
空襲の時、私たちは山側に逃げましたが、大和田橋の橋下に避難された方もいたように聞いていました。

Posted by: 秋山東一 @ September 3, 2009 05:03 PM

 もちろん、大和田橋はありました。木橋で下流側に架かっていました。いまでも、水が少ないときは、当時の松材が顔を出します。現在の橋を架ける工事は大変で、木橋の上から見物したものです。地上にコンクリートのピーアを築き、周囲から掘って、それを沈めて行きます。だんだに水の中にもぐっていきますので、潜水夫の仕事になります。水鉄砲を使ったのでしょう。だんだんと沈んでいきますが、どのくらいに日数がかかったでしょうか。かたわらの木橋のうえでは、2人掛りの手押しポンプで潜水夫に空気を送っていました。身体に似合わない大きないかめしい一つ目のヘルメット潜水夫が、上げってヘルメットを脱ぐと以外と若いお兄さんだったな、などと思い起こしています。
 1945年八月未明、八王子大空襲の際は、あの橋は私の母の命も救ってくれました。(1932.生)

Posted by: むらの けいいち @ September 3, 2009 02:55 PM

ogu さん、はじめまして、こんにちは。
ちゃんと調べてはいませんが、もちろん、この1942年竣工の現在の橋以前にも、大和田橋はあったと思います。甲州街道の要衝ですから江戸時代からあったと思います。

Posted by: 秋山東一 @ August 31, 2006 12:43 AM

ムラウチさんのブログから参りました。

すごい写真ですね。

ちなみに1942年以前は小舟で渡ってたんでしょうか。
八王子の昔に想いを馳せることのできる
貴重な資料だと思います。

Posted by: ogu @ August 30, 2006 11:52 PM

はじめまして、
ブログ見させていただきました。
本当にすばらしい写真だと思いました!

素敵な大和田橋を
ありがとうございました。

Posted by: ブログ社長 ムラウチ @ August 23, 2006 01:20 PM

sizimi さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
古い写真ですが、気に入っていただいてうれしいです。

Posted by: 秋山東一 @ January 23, 2004 12:47 PM

はじめまして。素敵な写真ですね。好きです。:)

Posted by: sizimi @ January 23, 2004 05:31 AM