030619

PORSCHE 356

Car

LANDship/TOYBOX/1999
356bt.GIF

PORSCHE356A_11.jpg


MacPaint による PORSCHE 356 のセクション

PORSCHE356_a.jpg


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1995年9月12日 夕暮れ時の長野県穂高にて


僕の356

今年(1994年)の2月に僕のガレージに1台の356A クーペがきた。

レストア済みの1958年型のクーペ、ちょっとベージュがかったうすい黄色、シャンパンイエローとかいうらしい、とても気に入っている。それ以来、ホイール、タイヤ等々、細かい部品を取り替えたりして、とても楽しみながら3000km余り走って、やっと自分の物になったという感じである。もう自分でいじれるところなんかなくなっちゃって、そろそろ三川さんのガレージにもっていって、もうちょっと調子をだしてもらいたいなんて考えている。

去年12月、急に356を手に入れるということに夢中になってしまった。それは、最近の車にがっかりしてしまったことから始まった。僕は20年間ずーっとVWに乗っていて、今ある76年の1600、なーにもなくて、ただ良く走る車がとても気に入って、車ってこれで十分、それ以上望むところはなんにもないという心境であったのだ。それでも、友人の新しいPANDAなんか見てみるとちょいと新しい車がほしくなってしまって展示会なんぞにでかけてしまった。そこで見たものはVWの感じとはまったく異なるものであった。
とにかく余計なものばかりくっついた飛行機みたいなものであった。VWみたいな車じゃなくちゃと考えた瞬間、ポルシェ356で僕の頭は一杯になってしまった。

356を手に入れそうになったのは今回が初めてではない、30年も前の学生だった頃、通りがかった立川の基地近くの自動車屋に白い356クーペがおいてあった。米兵のものであったであろうその356はとても安価で学生の僕にも買えそうな値段であった。そしてエンジンを見るためエンジンフードを開けたときヒンジがくさっていてグラッと傾いた。なにも知らない僕にもこれはだめというのはよくわかった。そして今ごろになって、クラブの会員である栗田伸一氏(コンピュータでの古くからの友人)が356A のハードトップを手に入れた時にも、それを見せられて、後ちょっとのところで「僕も欲しい」と叫ぶところであった。しかし、とっても手のかかりそうな様子で、356 も、とにかくちゃんと日常的に走る車であって欲しいと思っていた僕はパスしてしまった。

しかし今回は違った。最近の車にまったく魅力を感じなくなった今、ちょっと上等な VW というべきポルシェ356 がやみくもに欲しくなってしまったのであった。すぐに栗田氏に電話、氏も2台めの B なぞ手に入れており、356 をすぐにも手に入れたい僕の気持に大賛成というわけであった。それから2ヶ月あまり、栗田氏の手引きで何台かの 356 を検分、クラブ会員の芦屋の小林氏(建築家仲間の古くからの親友)の 356 B にまで手をのばしてしまった。とにかく、なかなか僕の356には出会えないものだという感じであった。

2月12日土曜日、栗田氏と一緒に神奈川県二宮まで出かけることになった。栗田氏の情報で、やはりクラブ会員である小林氏が手放す356A を見せていただけるとのことであった。早朝、栗田氏下北沢の事務所に来訪、いつもならば VW ででかけるところ、雪が降り初めていた。急遽、電車で行くことに変更した。10時二宮についた時には大雪、一面の銀世界であった。雪道に足をとられながら小林さんのご自宅に向かうが、不在、なにか手違いがあったに違いない。降り積もる雪の中、今日も又、僕の 356はまだまだ遠いのだろうとの予感がしてきた。

しかし栗田氏はあきらめない。駅前の喫茶店からご自身の自宅へ電話、栗田氏の奥様に小林氏から電話あり、昨日御家族で伊豆にお出かけ、この大雪に閉じ込められ二宮に帰るのは無理とのこと、その 356 については「ミカワ」氏にまかせたとのこと。でもそのミカワとかいう人物にどうコンタクトしたらいいのかわからない。食事でもしようと駅前の食堂に、そこからも何度かの電話、その 356 は「デニーズ」にあるということらしいことが解った。やれやれ、「デニーズ」というのはファミリーレストランのことであろう。とにかくそこまでわかればということで食事ということになった。

その時その食堂に突然、栗田氏を尋ねてフライトジャケットの青年が登場、鈴木氏という彼は小林氏のスタッフとのこと、駅周辺の我々がいそうな場所、喫茶店、食堂、改札口にいたるまで探しておられたとのこと、そして「デニーズ」でお待ちするとの謎のような言葉を残して去っていった。
もう、雪は小降りになっていた。久しぶりの大雪に道は渋滞、チェンの音だけがやかましかった。雪道を二人でデニーズに向かう、すぐ近くであった。そしてその駐車場には356の影も形もなかったのであった。

デニーズの店内でさきほどの青年、鈴木氏に会う。そこには謎の人物「ミカワ」こと三川氏もいらっしゃたのであった。そして 356 は駐車場のアルミバン、トランスポーターの中に収められていることを知る。昨日のうちに小林氏の仕事上の本拠地福島から鈴木氏によって陸送されてこられたんだそうだ。そして小林氏からその356について説明の依頼をうけて三川氏(その 356 をレストアされた方、その時、この世界でこんな有名な方とは思いもしなかったのである)が登場されておられたのであった。

トランスポーターのドアがあけられ、その356を見た。大事な宝石のように全てが磨き上げられ、全てが美しかった。そのままの状態でエンジン始動、その轟音もたのもしく、僕が望んでいた356そのものであった。

その場で僕の 356 に決定、そのまま運んでいただくことにした。国道1号から16号、246と大雪で渋滞した道を356をのせたトランスポーターで鈴木氏の運転、栗田氏と同乗して渋谷上原の僕のガレージへと向かう。4時間の道のりであった。運転席の TVモニターでアルミの庫内に収まった356を観察しながら、ずーっと興奮していたようであった。午後6時、雪もやんで暗くなった上原に到着、トランスポーターから356は栗田氏の運転によって無事ガレージに収まった。

その日の朝、伊豆で大雪の中、小林氏が二宮で我々に会うべく帰宅しようとして「356 パーツ」の内田氏にスノーチェンを依頼したことを後で知った。もう渋滞していた状況はそれもかなえず、小林氏には後日お会いすることになる。

長い一日が終わった。雪そして356。
その日一日、僕の356の為たくさんの人達が動いてくださった。ゆずってくださった小林氏、もちろん栗田氏、そして三川氏、運んでくださった鈴木氏、そして内田氏まで。感謝。

秋山東一

PORSCHE 356 CLUB OF JAPAN NEWS LETTER SPECIAL
1994年10月20日号所収


追記 060217

12年も一緒だった、この 356 を、ついに手放すことになった。
 ● aki's STOCKTAKING: Farewell 356


Posted by mine @ June 19, 2003 08:53 AM
Comments

356を手に入れられて、本当に幸せですね。

私も、356を探しておりますが、なかなか気に入るものに出会えません。ですから、ここに語られている入手までの経緯がとても素敵に感じられます。

私がこのページを発見したのは、ついこのあいだのことです。したがって、入手されたのが1995年ということで、もう10年も前の事だったのですね。おそらく今も健在であると思いますし、また、そう願っております。

うらやましい気持ちはともかく、貴殿が今の車に興味をもてない事情は、私にも容易に察しがつきます。私の自動車観で申せば、自動車史上のピークであり、大きな流れの中の端境期は1960年代であったと思わざるをえません。どんなに譲ったにしてもあと10年、1970年当たりまでが、限界です。何が限界かと言えば、人間と機械、あるいは、技術と芸術がもっとも幸せに同居し得た時代であったかどうかの限界ですね。

自動車の登場によって、地球上から駆逐されていった馬や馬車のスピードから比して、まさに加速度的な技術的進歩を遂げてゆく自動車の空間移動速度が、もっとも魅力的であった時代、たとえば、未来派を生みだしたのは、その存在じたいが未来的に思えるほどに魅力的だったからです。魅力的、色気、存在感、ともかく人類の発明したもっとも魅力的な走る機械であったことは、事実でしょう。

カローラを見て、果たして未来派は登場したでしょうか。70年代以降、車たちは利益と速度とを引き換えに、未来派を刺激したような、自動車のもっとも魅力的なものを失ったままであると、思えるのです。

Posted by: Green Book @ August 30, 2005 10:51 PM