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故永田昌民氏のこと

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NAGATA_masahito_4.jpg建築家・永田昌民氏が逝去した。

住宅建築に一時代を築き、その清楚な作風は誰をも魅了した。又、OMソーラーという故奥村昭雄のパッシブソーラーシステムの大いなる理解者・実践者として沢山のソーラー住宅、建築を設計し、その手法、その作風は多くの影響を建築界に与え続けた。

私、秋山東一にとって氏は二つの面を持っている。

建築界の同僚、パッシブソーラーの進展の同志として、そして、1962年藝大建築入学の同期生12人の一人としてだ。
しかし、その公的な面と同時に、私的には、永田昌民氏は私の妻の兄、私の義兄であるというプライベートな一面を持つ。氏とは藝大建築同期という縁で永田家というご一家と親しくなり、1973年、彼の妹である永田博美氏と結婚し……、親戚ということになったのだ。

それ以来、氏とは親しく、家族的にもお付合いいただき、大いにお世話になったのである。

先の11月26日早朝、永田昌民氏は自宅で意識不明になり、救急車で虎の門病院梶ケ谷分院に移送された。
この一年間余り体調すぐれず、時に持病の肝臓障害からくる記憶障害も顕著であった。
1998年に東京厚生年金病院で私と一緒に人間ドックを受診した。そこで発見された肝臓疾患があった。それ以来、氏はその病と戦う日々であったのだ。
その緊急入院以降、それは生命の危機と思われたが、29日朝、奇跡的に意識を回復した。ベットから起き上がる事はなかったが、いつもの饒舌なお喋りも回復、もう、退院も可能なのではないかと思われたのだ。
病魔は氏の身体をどのように破壊していたのか……、12月14日早朝、病状は急変し急激な血圧低下とともに還らぬ人となった。午前4時45分、夜明け前のことであった。

氏は、藝大で知り合い結婚することとなった夫人・佑子氏、そして、成人した二人の娘を残して逝ってしまった。
我々は、氏の円熟した建築世界をもう見ることも、その繊細な作風を新しい仕事として感じることも出来なくなった。

昨年末、2012年12月27日の、OMソーラー、パッシブソーラーの祖である奥村昭雄氏の逝去、そして、永田昌民氏の逝去と続き……、二人の同志を失ったことになる。又、1962年藝大建築入学の同期生12人、その内の一人、黒川哲郎氏を5月29日に失っている。永田昌民氏……、今年、二人の同期生を失ったことになる。

故永田昌民、享年72歳であった。

私の他愛ない冗談に、ベットの上の君がはにかむように笑ったのを、私は忘れない。

Posted by 秋山東一 @ December 15, 2013 08:24 AM
Comments

Shin さん、どうも、ご苦労さまでした。
やぁ、寂しくなりましたね。……氏のご冥福を……。

Posted by: 秋山東一 @ December 16, 2013 01:58 AM

本当に昨年の12月といい、今年の12月といい不幸が続きます。お二人ともまだまだという感じだったのが、急速に衰弱しました。残念です、合掌。
それにしても、3.11と結びつけたくなるのは僕の悪いところですが….

Posted by: Shin @ December 15, 2013 09:41 AM