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三ノ輪

Place

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もう11月か……、2日、iPad mini が iGa ちゃん家に着いた日の午後出かけた。いつもの神田での用事があるのだが、事前に新宿伊勢丹に寄って Stool 60 の展示を見たのだ。

伊勢丹に入るのなんて何十年ぶり……というところだが、一階に入った途端の空間、客よりもたくさんいる黒服の女性の数にびっくり……、それに白粉臭さ……にむせてしまった。

それはともかく、その後、神田の用事を済ませて向かったのは三ノ輪だった。

三ノ輪には午後4時半の約束、現地集合ということで、JR上野駅から地下鉄日比谷線に乗換え、下谷の次ぎが「三ノ輪」であった。幅広い道路で寸断されているのだが、どうにか目的地に着いたのであった。

勝海舟平和館」が目的地なのだが、そこに隣接されて中谷礼仁氏のご自宅が建設されたと知って出かけてきたのだ。

これは、最近知りあいになった若い友人達と中谷氏が Tweet しているのを傍受し、その見学に混じらせろと脅して実現したものであったのだ。

それは型枠コンクリートブロック造の3階建て、角地にL字型の建物であった。氏の設計された建物を見るのは初めてのことだが、おう、こういう……、設計をする人物であったのか……大いに刺激的な時間であった。冒頭の写真は3階の納骨室の上に拡がる秋の空……である。

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3階のオーディオルームでひとしきりお喋りの後、皆で「角萬」なる蕎麦屋へ……、その蕎麦の極太ぶりと量に驚く……。その後、「弁慶」なる居酒屋に入れず……、「中ざと」なる居酒屋……ここはなかなか……大いに楽しんだのである。三ノ輪軽泥酔会……だったのである。

三ノ輪……いい所なのである。中谷氏にとってはここが生まれ育った地……うらやましい限りである。


追記 121106

早稲田の雄、歴史工学を標榜する無類の論客である中谷礼仁氏にお会いしたのは、1997年2月28日だった。建築家の趙海光氏と一緒に新宿の「川」なる場所でお会いしたのであった。

最初のご著作「国学・明治・建築家―近代「日本国」建築の系譜をめぐって」をいただいたのがその時であった。

1997年夏の高山建築学校、そして柄谷行人の NAM なる運動、2010年の建築雑誌6月号の特集……、この15年余りの時間……その節目節目にお会いしているのだ。

今回、氏の実作を拝見……、大いに刺激を受けた私なのである。


Posted by 秋山東一 @ November 5, 2012 06:15 AM
Comments

そのようですね。まだ見ていませんが……。二人とも、歴史家……ですが、中谷氏の実作は初めて見ました。納骨室というか、棚というか……があります。

Posted by: 秋山東一 @ November 6, 2012 12:42 AM

そういえば東京人12月号の「特集・伊東忠太」の『対談 藤森照信×中谷礼仁「日本を軸に、世界地図をひっくり返した」』に2ショット写真が...。

Posted by: iGa @ November 5, 2012 08:01 PM