カラシニコフ自伝 | [ BOOKS ] |
もちろん、この AK47 とは Avtomat Kalashnikov-47 (アフタマート・カラーシュニカヴァ) の略称で、47年型カラシニコフ自動小銃の意味だ。このソ連製の突撃銃 (アサルトライフル) はその発明者ミハイル・カラシニコフの名前を冠しているのだ。
本書はそのカラシニコフの自伝、ロシア出身パリ在住の女性ジャーナリストによる聞書きにより「MA VIE EN RAFALES」として2003年出版されたものの翻訳書なのだ。
何のキャリアーも持たないシベリア出身の戦車兵、ミハイル・カラシニコフがいかにして AK47 を作り出し、その後、世界的銃器設計者となったのか、第2次世界大戦での自動火器の必要性、そして戦後の「突撃銃」というジャンルの形成、そして、カラシニコフ AK47 の登場、その全てを本人が語っているのだ。
ミハイル・カラシニコフはロシア革命直後の内戦の最中、1919年 (私の父は1920年生れだから同時代人だ)、シベリア・クーリャに大家族の農民の子供として生れた。少年であった1930年、一家は大きな不幸に巻き込まれる。スターリンの農業集団化政策によって実施された「富農撲滅運動」によってシベリア奥地への流刑となってしまうのだ。そこでの過酷な一家の生活、そこからミハイル・カラシニコフ一人での脱出、第2次世界大戦勃発、彼の波乱の人生の始りだ。
カラシニコフが造りだした成果は、特別な天才の所業ではない。常識と適度な想像力の産物であるのだ。これは、同じくソ連の T-34 の設計者・コーシキン M.I.Koshkin に与えられた賛辞と同じくなのである。
Posted by 秋山東一 @ May 12, 2008 07:45 AM玉井さん、どうもです。
そうですね。ベトナム戦争の頃、いわゆるベトミンが、米軍よりもすぐれた AK という武器を使っていることが我ことのようにうれしかったのを思いだします。それは輝かしいアイコンとしてだったと思います。
本書はカラシニコフという一人の人間の自伝でありますが、彼の作り出した道具の物語でもあります。
ゲリラという言葉がかつては使われていた文脈に、近頃はもっぱらテロリストとか武装勢力という言葉がつかわれるようになってくると、かえってカラシニコフに、また特別の思いをいだくのでしょうか、人を殺すためのツールの開発物語に惹かれました。読んでみます。
Posted by: 玉井一匡 @ May 13, 2008 08:41 AM秋山さん、わたしはこのエントリーにぐっときたため、リンガマ+(自分のブログ)に勝手に書いてしまいました。わたしも早速購入して読みます。たぶん、amazonではなくまた書店に行きます(笑)。
Posted by: 今井孝昌 @ May 13, 2008 07:15 AM今井さん、どうもです。
私はそんな技術開発の本を読むのが大好きなのです。本書は銃器の開発というところに抵抗があるかも知れませんが、非常に面白い本でした。
「常識」と「適度な想像力」の産物。ぐっときますねこの言葉。書物の世界でいうと、最近は「過剰な想像力」がものをいってしまっている感じがします。カラシニコフに学んでもらいたいです。これは大切なキーワードだと思います。いい情報をありがとうございます。
Posted by: 今井孝昌 @ May 12, 2008 02:47 PM