080215

画家・若松光一郎

Art/Design

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先日、十数年前の昔だが、富士山腹に別荘を設計した。その施主のYさんご夫妻と、久しぶりにお会いし食事をご一緒する機会を得た。

その時、奥様から水彩画が表紙の小型の2008年カレンダーをいただいた。

「2008 若松光一郎 CALENDER」とあり、1月かた12月の12枚と、もう1枚の13枚の水彩とパステルの風景と静物のデッサンがある。

この若松光一郎なる画家は奥様の父上とのことであったのだ。お会いした頃から、いわき出身で、父上は画家、母上はピアニストとお聞きしていたが、今回初めて父上の作品を拝見したのであった。

いろいろなお話を伺ったが、戦前からの時代を興味深く伺うことができた。

画家・若松光一郎氏は1914年いわき市生れ、東京美術学校油絵科 (現・芸大美術学部) 藤島武二教室 を卒業し、画家として活躍し、1995年に81歳で逝去とのことだ。
デッサンの巧みさで知られたが、後年は抽象コラージュに新境地を開かれたとのことだ。カレンダーのデッサンはその巧みさよりも、その物、その風景への優しい眼差しを感じる愛情に満ち満ちたものだ。特に、生れ故郷のいわき (旧平) の風景への深い愛情を感じるのだ。

その妻である、ピアニストの若松紀志子さんは、京都生まれの92歳 (2008年1月現在) で、今もって現役でご活躍である。幼少期からピアニストを志し、東京音楽学校(現・芸大音楽学部)本科ピアノ科で学んだ。この頃、東京美術学校で学んでいた若松光一郎氏に出会い、後に結婚し戦争が激しくなり、1945年ご主人の故郷である福島県いわき市へと疎開された。

現在、いわき市内にギャラリーと音楽ホールを併設した「アートスペース エリコーナ」ELICONA (ギリシャ神話の芸術の神・ミューズが住んでいる山のこと) を主宰され、いわき、ひいては東北の美術、音楽の世界に大いに貢献されておられるのだ。

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Yさんご夫妻には、父上、母上のお話をたくさん伺ったが、戦前「池袋モンパルナス」に住んでおられたということだ、私と同年生れの奥様はそこで生まれたとのことであった。なんだか、komachi memo2 の真鍋弘編集長の父上、画家・真鍋英雄氏とも接点があったのではないかと......想像するのも楽しい。


Posted by 秋山東一 @ February 15, 2008 01:01 AM
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