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赤軍記者グロースマン

BOOKS

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赤軍記者グロースマン─独ソ戦取材ノート1941-45

編者: アントニー・ビーヴァー & リューバ・ヴィノグラードヴァ
 Antony Beevor & Luba Vinogradova
訳者: 川上 洸

ISBN: 4560026246
出版: 白水社
定価: 3,570-円(税込)

ロシアの作家ヴァシーリイ・グロースマンの『人生と運命』は二十世紀ロシア最高の長編小説の一つだそうだが、未だ日本語で読むことはできない。邦訳本がないということは、大部分の日本人にとっては、その小説も作家も存在しないのも同じ、残念なことである。

その作家が、赤軍機関誌の従軍記者として1941~1945の独ソ戦を記録した新聞記事、取材ノート、メモを、独ソ戦のドキュメンタリーとして編集再構成したのが本書だ。

その編者はアントニー・ビーヴァー Antony Beevor だ。本ブログでも紹介しているが、「スターリングラード—運命の攻囲戦 1942-1943」「ベルリン陥落 1945」の著者である。ソ連邦崩壊後よって明らかになった新資料によって独ソ戦の実態を解明するエースというべき人物、そして邦訳は「ベルリン陥落 1945」に引き続き、スラブ語の権威、川上洸氏である。


目次
 凡例 訳語・用語解説
 編者まえがき

第1部 ドイツ軍侵攻の衝撃 — 1941年
 第1章 砲火の洗礼(八月)
 第2章 悲惨な退却(八月〜九月)
 第3章 ブリャーンスク方面軍で(九月)
 第4章 第五十軍とともに(九月)
 第5章 ふたたびウクライナへ(九月)
 第6章 オリョール失陥(十月)
 第7章 モスクワ前面へ撤退(十月)
第2部 スターリングラードの年 — 1942年
 第8章 南西方面軍で(一月)
 第9章 南方での航空戦(一月)
 第10章 黒師団とともにドネーツ河岸で(一月〜二月)
 第11章 ハーシン戦車旅団とともに(二月)
 第12章 「戦争の非情な真実」(三月〜七月)
 第13章 スターリングラードへの道(八月)
 第14章 九月の戦闘
 第15章 スターリングラード・アカデミー(秋)
 第16章 十月の戦闘
 第17章 形勢逆転(十一月)
第3部 失地回復 — 1943年
 第18章 攻防戦の後(一月)
 第19章 祖国の領土を奪回(早春)
 第20章 クールスク会戦(七月)
第4部 ドニェープルからヴィースワへ — 1944年
 第21章 修羅の巷ベルジーチェフ(一月)
 第22章 ウクライナ横断オデッサへ(月)
 第23章 (三月〜四月)
 第24章 トレブリーンカ(七月)
第5部 ナチの廃虚のさなかで — 1945年
 第25章 ワリシャワとウッチ(一月)
 第26章 ファシスト野獣の巣窟へ(一月)
 第27章 ベルリン攻略戦(四〜五月)

 編者あとがき — 勝利の虚偽
 謝辞

 訳者あとがき
 主要地名表記一覧 引用出展一覧 参照文献


グロースマンはウクライナのユダヤ人家庭に1905年生まれた。ロシア革命に共感し、化学を専攻し炭坑で技術者として過ごした後、文学制作の世界に入る。1941年、独ソ戦勃発とともに愛国心に燃えて、従軍記者に志願した。
緒戦の惨めな敗走から、スターリングラード攻防戦、クールスク会戦を経てベルリン陥落に至るまでの4年間を前線の兵士とともに過ごしながら記録報道してきた。

本書は、赤軍、一般兵士達の英雄的な抗戦ぶりを描くと同時に、ウクライナにおける独軍占領下における、彼の母親、親類縁者もその犠牲となったユダヤ人虐殺、彼が最初に報道することになるポーランド、トレブリーンカ絶滅収容所跡のホロコーストの実態、独国内に侵攻した赤軍の略奪暴行自体を目にして、次第に体制側の歴史とは離れた視点を持つようになっていった。

戦後、二十世紀ロシア最高の長編小説の一つとされる『人生と運命』を執筆したが、その原稿をKGBに没収され失意と窮乏の中で64年他界した。1982年奇跡的に隠匿されていた原稿のコピーがマイクロフィルムに撮影され、国外に運ばれ出版となった。ロシアで日の目をみたのは、1988年、ソ連邦崩壊後のことであった。

ヴァシーリイ・グロースマンの『人生と運命』、読みたいものである。


Posted by 秋山東一 @ August 17, 2007 03:18 AM
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