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未完の「多摩共和国」—新選組と民権の郷

BOOKS

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未完の「多摩共和国」—新選組と民権の郷

著者: 佐藤 文明

ISBN: 978-4773630015
出版: 凱風社
定価: 2,625-円(税込)

4月24日夕、京王プラザホテル八王子での、「新選組」の著者・佐藤文明氏の講演会「幕末・維新に見る多摩ネットワークの底力」を聴講した。

講演会は時間を大幅にオーバー……、しかし、佐藤氏が語りたい三分の一にも達せずとのことであった。

氏は「多摩」という場所が、家康の江戸入り以降、特別な場所になったこと、そこに培われてきた自治と自衛の精神がどこからきているのか……、そこから語り始めた。

新撰組の里である多摩が、いかに優れた人材を生み出し、その人材、人脈によって何を為してきたのかを熱く語った。氏はそれらを今風に「ネットワーク」と呼ぶのだ。「蘭方医ネットワーク」「大奥女官ネットワーク」「開明教育ネットワーク」が幕末・維新の中でどう機能していったのかが今回の講演で大いに語られたのであった。

中でも、最近のテレビドラマ「篤姫」で大いに話題になった幕末の大奥の世界、そこに登場した奥女中達の名前、滝山、滝尾(ませ)、岡野、藤波は全て多摩の女性であったという話しには驚いた。そのような事業を為せる人物を輩出したのが「多摩」という場所であったのだ。

その後の薩長土肥による明治政府によって圧殺されてきた多摩、そのネットワークの力を再び……というお話しだったのだ。

本書は「新撰組」に続く、氏の「多摩」についての2005年出版の著作であるのだ。


目次
    はじめに

    本書関連事項年表

第一章 天然理心流を生んだ武士の郷

    多摩の歴史は侍の歴史
    甲州一揆
    世直し江川大明神
    多摩川の取水堰争い
    岡引・八五郎の活躍
    彦五郎の手習い
    八王子千人同心
    江川代官、日野宿へ
    彦五郎の仮祝言
    洪水に見舞われた歳三の生家
    宮川勝五郎の入門
    佐藤邸炎上

第二章 江川担庵の業績と多摩人の自立精神

    勝五郎、宮川家に養子に入る
    江川担庵、種痘を実施
    蘭方医ネットワーク
    薬売りになった歳三
    ペリー艦隊の来航
    御台場の建設着工
    佐藤道場の開設
    安政の大地震
    担庵、総蔵を走らす
    義兄弟の契り
    開国に洗われる多摩
    大献額奉納式典と野試合
    剣士たちの恋と病
    熱く国事を語る

第三章 武相農兵隊の結成と近藤勇の信念

    浪士組参加決定の内幕
    将軍上洛
    江戸大変、武相騒乱
    多摩のスポンサー
    新選組の誕生
    武相農兵隊の結成
    多摩と京都の通信
    禁門の変、多摩を走らす
    天狗党、関東を駆ける
    近藤勇の一時帰還

第四章 明治元年は瓦解元年

    支配替えの阻止
    第二次長州征伐
    武州世直し一揆の勃発
    歳三、再び郷里へ
    薩摩浪士隊の破壊活動
    鳥羽・伏見戦争の勃発
    甲陽鎮撫隊の出陣
    多摩にとって、明治元年は瓦解元年
    上野「彰義隊」の崩壊
    函館占領と蝦夷共和国
    函館戦争と歳三の最期

第五章 民権から国権へ 未完の「多摩共和国」

    多摩分割と御門訴事件
    郷学校の発足と廃藩置県
    第二代神奈川県権令・大江卓の改革
    政府転覆計画と佐賀の乱
    第三代神奈川県令・中島信行の振興策
    三多摩の出現と神奈川県令
    民権運動と天皇”行幸”
    多摩自由党と武相困民党
    『武蔵野叢誌』と天皇筆禍事件
    大阪事件と憲法大赦
    石坂美那と北村透谷
    三多摩の東京府移管
    彦五郎、大往生

    終章 あとがきににかえて

    ●登場人物の人名・変名表


先日の「『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク」で歩いた国分寺辺りも、又、多摩の地である。

Posted by 秋山東一 @ April 26, 2010 05:34 AM
Comments

Fumanchu 先生、どうもです。
まぁ、ローカルはローカルなんですが、一献……は甲州産葡萄酒でございましたです。又、前掛け姿の店主は慶応義塾出身者でございますです。

Posted by: 秋山東一 @ May 2, 2010 06:19 PM

多摩一で「多摩自慢」を一献。ローカルだなあ。

Posted by: Fumanchu @ May 2, 2010 04:44 PM

Fumanchu 先生、どうもです。
講演会の後、高校(佐藤氏が都立ではなく多摩立という……)の後輩達と「多摩一」という飲み屋に出かけましたが、たまっている……かどうか分かりませんが、多摩人には熱いものがあるようです。

Posted by: 秋山東一 @ May 1, 2010 11:54 PM

結婚して府中に引っ越した先輩が、町内会だか地権者の寄り合いで、バス旅行で鎌倉に出かけたら、結構面白かったとか。皆、多摩ってるものがあるようです。

Posted by: Fumanchu @ May 1, 2010 12:29 PM

iGa さん、どうもです。
こんな多摩の話題……してますが、iGa さんは会津、私は水戸と……多摩にとっては他所者……、しかし、同じ賊軍というところが面白い。

Posted by: 秋山東一 @ April 27, 2010 03:32 AM

今井さん、どうもです。
この佐藤文明さんは、多摩の復権を目指して、ずっと活動されているのです。
ご自身の出身高校(私も一緒ですが……)を都立……を潔しとせず、「多摩立……」と言うくらいです。

Posted by: 秋山東一 @ April 26, 2010 09:47 PM

当地の「狭間の獅子舞」は八王子城主・北条氏照によりお下渡しされたものですが、その行列や舞の前に行われる棒術は「天然理心流」で、恐らく江戸後期に付け加えられたようです。てことは山里の村々の百姓まで天然理心流が... なのでしょう。

Posted by: iGa @ April 26, 2010 09:57 AM

おはようございます。

あらためて多摩に誇りを感じることができました。

考えてみると私は自分の高校にも「多摩」という文字が入ってました(笑)。

Posted by: 今井孝昌 @ April 26, 2010 08:53 AM