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住宅建築4/永田昌民のデザイン思想

Architecture , Mag

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月刊「住宅建築」No.384 2007年4月号
特集/永田昌民のデザイン思想



出版: 建築資料研究社

定価: 2,450-円(税込)

「住宅建築」の最新号、4月号は建築家・永田昌民氏の特集だ。

処女作というべき1969年の「熱海の家」から、最新作の2006年「市川の家」まで、選ばれた12の住宅作品が掲載されている。それは持続する志というべき真摯なる姿勢に貫かれた作品群なのだ。

氏が.......思想なぞと声高に語ることはない、それは彼の住宅において語りかけられるものなのだ。

15年も前だが、1992年のOMソーラー協会広報誌「月刊OM」5月号に「永田昌民を語る」と題した一文を書いた。氏の著書「大きな暮らしができる小さな家」を紹介した際にも再録したが、再々録してみよう。

永田昌民を語る、遠慮がちに。

永田昌民氏を語るにあたって私にとってはちょいとつらいところがある。氏は私と芸大の同級生であった。それと同時に親戚でもある。ここはひどくつらい。私の家内が永田氏の妹であるということから、自動的に彼は私の義兄という地位に居座ってしまったのである。

というわけで、氏の人となり、氏の建築及びその思想を語るにあたり、なかなかつらいのである。氏を個人的建築家とする社会的建築家・野澤正光氏がこれを書くのが適当と思えるが、ここは一大論争を引き起こすにいたり、修復不能という事態はさけねばならないという月刊OM編集部の意向によって私が選任されたのであろう。私、つらいのであるが書かねばならない。遠慮がちに。

永田昌民氏の作品を見る時、その全体としての美しさ、細部にわたるこまやかな神経の使い方に驚かないものはいない。これは氏の設計に対する努力、研鑽の賜物である。多数の設計図書、それに費やされる多大な時間、その上にそれは築かれている。全てにわたってスタッフまかせにすることはなく、目が通され吟味されたディテールは見事という他はない。氏が師と仰ぐ吉村順三先生から引き継ぐ考えの上に、最近では永田独自の世界というべき風格さえ感じさせ、独自の境地というべきものまで備えているように思える。
建築設計の手法を考える時、私は文学おける修辞学と同じくレトリックと呼んでいる。私は氏の作品の中にそのレトリックを探し、その手法を解読する。氏にそのレトリックを論じる時、氏は私の云うレトリックを「トリック」と解するを常とする。ここにも氏の手法というべきを感じる。意識的にそれを駆使することなく、氏は無意識にレトリックを構築しているといえる。それは氏の作品の多くに多様な表情となって現われ、論理的な構築、空間というより、一つの気持ち、やさしい気分と、しっとりとした情緒となって表現されていると思える。

最近、氏の設計による盛岡・菅文のモデルハウスが竣工と聞く。まだ拝見していないが、氏の特性が限りなく発揮された作品であろう。その仕様は高気密高断熱と聞く時、氏のOMソーラーの作品として画期的な性能を有していることであろう。
OMは設計なんだと断ずる時、「広く住む」をその目的とする時、永田昌民氏の作品がOMの住宅に大きく影響を及ぼすのは目に見えているのである。

月刊OM 1992年5月号所収

永田昌民氏から送られてきた本誌の包みの表書きには「..........秋山東一様 博美様」とあった。

1969年の「熱海の家」は氏の両親のための家であった。本誌のモノクロ写真の一枚に、若かりし昌民氏と父上、妹君と彼女の友人が写っている。まぁ、後に義父と家内.......ということになるのだが。


追記 070325

久しぶりに見た「住宅建築」は表紙のロゴが変わっていた。明朝体の「住宅」とゴシック体の「建築」の組合せだ。
「本誌のロゴで、「住宅」と「建築」の書体が異なるのは、「住宅と建築を総合的に考えていく」という編集方針を表現しています。」と解説されているが、これは、かっての「都市住宅」のロゴの模倣である。
さて、「都市住宅」では、どんな理屈でそうしたのか.......そんな説明あったかなぁ、忘れている、調べてみよう。

aki's STOCKTAKING: 植田実の「都市住宅」


Posted by 秋山東一 @ March 26, 2007 01:01 AM
Comments

個人的建築家と社会的建築家・・・言いえて妙ですね。
ただ、永田さんの設計する住宅を見るとき、声高にでは無いけど、でもしっかり町と社会と繋がっている意識を感じます。
永田さんの個人的は、実はしっかり社会的でもあるのでしょう。
町とのかかわりの中で活かされる個人ということでしょうか。

それにしても、若い永田さん・・・。
住建3月号は田中さんで4月は永田さん、住建本気出してきたのかなぁ・・・なかなか読み応えがあります。

Posted by: 東京町家 @ March 27, 2007 08:52 AM

26ページの『モノクロ写真』、きっと何方か「お知り合い」では、と思いながら拝見しておりましたが、
そうでしたか...。
これと同じようなシチュエーションでとられた「軽井沢の山荘」の写真も髣髴とされられました
(どこに掲載されていたか忘れてしまいましたが...)。
しかし『熱海の家』ができた年、僕はまだ4歳だったなんて...(歳のことはいうまい...笑)。

Posted by: たかさん @ March 25, 2007 01:15 PM

iGa さん、どうもです。
あの時は、ひさしぶりに熱海の家に泊まりましたが、喘息持ちのM氏は辛かったみたいですね。まぁ、帰りの道中は........忘れるように、いたしてをります。

Posted by: 秋山東一 @ March 25, 2007 12:15 PM

「熱海の家」は湯河原でのH氏捜索前夜に泊めていただきました。その翌日の帰りの道中はもう忘れましたけど、、、永田建築のルーツである「熱海の家」のディテールのこまやかな神経の使い方は記憶に残ってます。

Posted by: iGa @ March 25, 2007 11:46 AM