031202

大きな暮らしができる小さな家

Architecture , BOOKS

建築家・永田昌民氏の本がでた。

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大きな暮らしができる小さな家

オーエス出版
1,800-円+税

「小さな家」という題で、氏の精緻な小住宅の仕事を語っている。
都心からやや離れた東久留米市にある新旧の自邸を語り、長年のN設計室の仕事としての小住宅の作品の数々を語り、「居心地のよい住まいをつくるディティール」で彼の住宅を特長づける深く考察されたディテールが語られている。

永田さんとは、芸大、OMソーラーとごく親しい間柄ではある。

1992年にOMソーラー協会の広報誌「月刊OM」5月号に「永田昌民を語る」と題した一文を書いた。10年以上も前の話だが、今もって氏の仕事についての尊敬の念は変ることはない。再録してみた。

永田昌民を語る、遠慮がちに。

永田昌民氏を語るにあたって私にとってはちょいとつらいところがある。氏は私と芸大の同級生であった。それと同時に親戚でもある。ここはひどくつらい。私の家内が永田氏の妹であるということから、自動的に彼は私の義兄という地位に居座ってしまったのである。

というわけで、氏の人となり、氏の建築及びその思想を語るにあたり、なかなかつらいのである。氏を個人的建築家とする社会的建築家・野澤正光氏がこれを書くのが適当と思えるが、ここは一大論争を引き起こすにいたり、修復不能という事態はさけねばならないという月刊OM編集部の意向によって私が選任されたのであろう。私、つらいのであるが書かねばならない。遠慮がちに。

永田昌民氏の作品を見る時、その全体としての美しさ、細部にわたるこまやかな神経の使い方に驚かないものはいない。これは氏の設計に対する努力、研鑽の賜物である。多数の設計図書、それに費やされる多大な時間、その上にそれは築かれている。全てにわたってスタッフまかせにすることはなく、目が通され吟味されたディテールは見事という他はない。氏が師と仰ぐ吉村順三先生から引き継ぐ考えの上に、最近では永田独自の世界というべき風格さえ感じさせ、独自の境地というべきものまで備えているように思える。
建築設計の手法を考える時、私は文学おける修辞学と同じくレトリックと呼んでいる。私は氏の作品の中にそのレトリックを探し、その手法を解読する。氏にそのレトリックを論じる時、氏は私の云うレトリックを「トリック」と解するを常とする。ここにも氏の手法というべきを感じる。意識的にそれを駆使することなく、氏は無意識にレトリックを構築しているといえる。それは氏の作品の多くに多様な表情となって現われ、論理的な構築、空間というより、一つの気持ち、やさしい気分と、しっとりとした情緒となって表現されていると思える。

最近、氏の設計による盛岡・菅文のモデルハウスが竣工と聞く。まだ拝見していないが、氏の特性が限りなく発揮された作品であろう。その仕様は高気密高断熱と聞く時、氏のOMソーラーの作品として画期的な性能を有していることであろう。
OMは設計なんだと断ずる時、「広く住む」をその目的とする時、永田昌民氏の作品がOMの住宅に大きく影響を及ぼすのは目に見えているのである。

月刊OM 1992年5月号所収

Posted by @ December 2, 2003 02:42 PM
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