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昭和住宅物語

Architecture , BOOKS

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昭和住宅物語
初期モダニズムからポストモダンまで23の住まいと建築家

著者: 藤森照信

ISBN: 4786900818
出版: 新建築社
定価: 4,077-円(税込)

F森教授こと、藤森照信・東大教授が「新建築 住宅特集」に1986年5月創刊号から二年間にわたって連載した24編の文章をまとめたものだ。

いわゆる建築雑誌での連載、それは建築設計を仕事とする面々を対象とする評論というべきものなのである。戦前から戦後、住宅を設計するということ自体が一般的なことではなかった時代から、今、デザイナーズ.......があふれかえっている時代に至る時間の中で、そのエポックを作り出してきた巨匠達、又、住宅を形成した事象を捉えて、現存するその作品とご本人へのインタビューで解き明かそうという試みなのだ。

土浦亀城、遠藤新、堀内捨己、山田守からレーモンド、藤井厚二、吉田五十八、白井晟一、前川國男、吉村順三............巨匠達、きら星のごとく......やぁ、全て住宅、最初そんな意識はなかったようだが、丁度、連載が終わって程なく、昭和も終わり、「昭和住宅物語」となったとのことだ。

私め、不勉強で1990年に発刊された本書を、今頃になって読んだのである。これが期待に違わず面白いのである。


目次
Ⅰ モダニズムの青春

 生き続ける白い箱・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・土浦亀城と自邸
 ライト使徒伝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・遠藤新と加地邸
 北の地のライト式・・・・・・・・・・・・・・・・田上義也と坂邸・坂牛邸
 日本最初の住宅作家・・・・・・・・・・・・・・・・・・山本拙郞と和田邸
 巨匠も若い頃は・・・・・・・・・・・・・・・・堀口捨己と小出邸・岡田邸
 現実からの分離派・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山田守と自邸
 コルビュジェとの一本勝負・・・・・・・・・・・・・・レーモンドと夏の家

Ⅱ 立ちつくす戦前

 職業婦人の館・・・・・・・・・・・・・・・・・・・同潤会と女子アパート
 数寄屋はいかに発見されたか・・・・・・・・・・・・・・藤井厚二と扇葉荘
 新興数寄屋の開祖・・・・・・・・・・・・・・・・・吉田五十八と杵屋別邸
 ”縄文的なるもの”のそのまた原型・・・・・・・・・・・・白井晟一と歓帰荘
 アメリカ建築を生きる・・・・・・・・・・・・・・・・松ノ井覚治と数江邸
 戦時下の哀しき愉しみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・村野藤吾と自邸
 満蒙に開いたカラカサの家・・・・・・・・・・満蒙開拓少年義勇軍と日輪舎

Ⅲ 戦後モダニズム

 焼け跡のプレハブ住宅・・・・・・・・・・・・・・・・前川國男とプレモス
 3DK誕生記・・・・・・・・・・・・・・・計画学者とダイニング・キッチン
 ステンレス流し台の生い立ち・・・・・・・・・・公団とサンウェーブ流し台
 住まいの工業化とは・・・・・・・・・・・・・・・・・池辺陽とVAN石津邸
 板張りのモダニズム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉村順三と自邸
 日本におけるミース的なもの・・・・・・・・・・・・・・・清家清と斉藤邸
 コルビュジェの大いなる影の下で・・・・・・・・・・・・・吉坂隆正と浦邸

Ⅳ 血煙りポストモダン

 コルゲート男の冒険・・・・・・・・・・・・・・・・石山修武と開拓者の家
 奇蹟のようなエイズのような・・・・・・・・・石井和紘とジャイロ・ルーフ
 鼎談 時代はゴミかプッツンか・・・・・・・・・・・・・建築史家と建築家

 あとがき


やっぱり、吉村順三、吉田五十八から読み始めたが、建築史家としての学識と「路上観察学会」によって鍛えられた建築探偵の眼は、その些細な証拠を見落とすことなく、その巨匠とその住宅の秘密を解き明かしていくのだ。

最後の石山、石井との鼎談、ちくちく、じくじく、これは「苛め」かというくらい......まぁ、その通りなのだが、「時代はゴミかプッツンか」という表題通り、相手をゴミ、プッツンと決めつけ、ご自身はきちんと建築史家という立場の違いに身をおいておくという見事な身のこなしなのである。

この現代の住宅スタディと、同世代の建築家の有り様を洞察し、いかほどのこともなしと判断、自らも設計するという世界、建築家・藤森照信へと転身したのであろう。
その有り様、全てにわたって物の作り方を根本から見直した、セルフビルダー、自力建築主義者というよりも、農本主義者としての実践というべきものなのであろう。

Posted by 秋山東一 @ October 3, 2006 12:25 AM
Comments

真鍋さんの「百の知恵双書」も、シリーズのテーマに「かつての百姓が百の知恵を必要としたように、21世紀を生きるための・・・」とあります。
専門分化した仕事ではなく、「百姓仕事」のトータルで地域性を基調に未完のまま住み始めるような住居のあり方に、普遍性や落ち着きを感じる時代なのでしょう。
川合健二の鉄の家も、エンジニアがトライした「百姓仕事」のように思えてきます。「晴耕雨読」というライフスタイルについて、晩年、語って笑っていた川合の顔を思い出します。

Posted by: 栗田 @ October 3, 2006 05:54 PM

栗田さん、どうもです。
紺屋の......というべきか、建築系の本を読んでいず、恥ずかしいかぎりです。本書続編、「藤森照信の原・現代住宅再見」が.....三巻もあるようですね。まぁ、ぼちぼちと。
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藤森さんの設計って何なのか.....と考えていたのですが、本書の中に、ご自身を「農本主義者」と言っているところがありました。そこで、なるほど、プリコラージュならぬ「百姓仕事」というような言葉がうかびました。
夏前、「高過庵」の下で藤森さんの父上にお会いしましたが、まさしく百姓仕事としての工事をおやりになっていました。

Posted by: 秋山東一 @ October 3, 2006 03:25 PM

「藤森照信の原・現代住宅再見」という本を持っていますが、こちらは1997〜2002年までのTOTO通信に掲載された内容をまとめたものです。
昭和で分類してはいないものの、かなり似た視点でまとめた内容かと思います。
設計以前に無駄のない執筆活動をされていること、さすが建築史家ならではと。

Posted by: 栗田伸一 @ October 3, 2006 11:13 AM