060331

習志野市藤崎に......

Place

fujisaki060330_0.jpgclick!    南方を望むと、小さな森の右側に幕張の高層ビル群が見える。

津田沼駅から歩いて20分程、習志野市藤崎の森林公園の桜はまだ三分咲きというところだ。
そこにある旧大沢家住宅についてのエントリーをしたが、その森林公園自体、「東京の公園と原地形」に書かれている「谷戸」そのものなのである。

map_2.gif

津田沼駅から森林公園に向かってくると、まさしく谷戸の谷道を歩いてくることになる。道沿いの田圃の奥に池、その周りが公園となっているのだ。
帰り道に上の台地はどうなっているのかと思った。今まで上ったことはなかったのだ。

台地の上には、まだ宅地化されない畑地が残っていた。その真ん中に、鎮守の森というべき小さな森があった。

fujisaki060330_2.jpg

まさしく、それは鎮守の森であった。子供達がその木々で遊んでいた。

鳥居の横に大きな案内看板があった。

それを読んだ途端、ここの台地上の縄文人を想像した。

そこは千葉県指定史跡「藤崎堀込貝塚」とのことであったのだ。標高20m、東西に谷戸、海岸まで1.5kmほどの場所なのだ。

ここも又、まさしくアースダイバー的な場所であったのだ。

ここに30年前の航空写真がある。ずいぶんと宅地化が進んだが、この一画はそのままに残されている。

空撮 藤崎堀込貝塚(1974) −千葉県習志野市藤崎
新ならしの散策 No.51

Posted by 秋山東一 @ March 31, 2006 07:39 AM
Comments

わきた さん、こんにちは。
初めて、この台地上に上って広い畑地があるのに気がついたくらいで、私が書いたのは憶測にすぎません。まだまだ習志野には行きますので、機会をみて調べてみます。これだけ広い農地が残っているからには、何らかの理由がありそうです。

Posted by: 秋山東一 @ March 31, 2006 05:07 PM

秋山さん、こんにちは。「宅地化するのは時間の問題....なのかも知れません」という部分、気になります。地域社会の農地を保全していくことは、とても現代的な課題だと考えています。市民農園のように、所有は農家でも、利用は周辺の住民というのも、ひとつの方法でしょう。もうひとつ、周辺に、これだけ新興住宅地があって消費者がいるのですから、そのような消費者と農家が結びつくような関係や仕組みが生まれてくるといいなあと思います(最近は「地産地消」的な取り組みがあちこちに見られますしね)。また、団塊の世代が地域社会に戻っていくさいに、一定の割合の皆さんが、「農」的世界を志向する傾向があります。そのような方たちが、なんらかの形で地域の農業とかかわることができることも大切かなと思います。様々な不利な条件のもとでも、農家が世代を超えて農業を継続したいと考えているのか、まわりにそのような農家を支える地域住民がいるのか、そのあたりがひとつのポイントになるように思います。

Posted by: わきた・けんいち @ March 31, 2006 04:25 PM

わきた さん、お帰りなさいませ。
周辺ブログ界、わきた さんご不在のため、なんとはなしに活気なく静かな日々でありました。いつ ワーキタ になるのか、お待ち申し上げていたところなのです。
この藤崎には Be-h@us の現場があり、ちょくちょく行っているところなのですが、台地上に行ったのは初めて、すぐにこの森が目に入ってきました。まぁ、絵に描いたようなこの「鎮守の森」でありました。おっしゃる通り、この森がその周辺環境をまさしく鎮守しているように見えます。森と史跡周辺は習志野市の土地になっているのではないかと思いますが、その他の周辺畑地は、市が家庭菜園として貸し出している部分もありましたが、大部分は私有地と思います。宅地化するのは時間の問題....なのかも知れません。津田沼駅まで歩いて15~20分、快速電車で東京駅まで25分という立地ですし、駅前も大きな店舗があり利便性も十分です。
鳥居の左横の銀色の箱に見えるのは、史跡案内の看板です。

Posted by: 秋山東一 @ March 31, 2006 11:28 AM

秋山さん、こんにちは。[MAP]でこの地域全体をながめると、興味深いです。新興住宅地がどんどん建設されている状況のなかで、このようなまとまった広さの農地があって、そのなかに鎮守の森と貝塚が存在している。いいですね~。この農地を所有されている農家は、将来の宅地化をねらって、現在はとりあえず農地として所有されているのか、それとも、このような場所であえて農業を継続することにこだわっているのか、よくわかりませんが、後者だったら、とっても面白いな~と思いました。農業が衰退し、周囲が宅地化していくなかで、あえてそれに抵抗しするかのような姿勢が、景観のなかに読み取れるからです。そして、鎮守の森と貝塚が、地域の土地を宅地として商品化しようと外部から押し寄せる力に対して、象徴的な意味で目に見えないバリアのように機能しているように思えるからです。ここは、周囲の住宅地に皆さんの「指定非難場所」にもなっているようですね。ところで、鳥居の左横の銀色の箱はなんなのでしょうか?

Posted by: わきた・けんいち @ March 31, 2006 10:38 AM