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六櫻社付属診療所

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私は六櫻社付属診療所という所で生まれた。この写真は生後一週間ほど、母と私が退院した時、父が撮ったものである。看護婦さんに抱かれているのが私、その脇に立っているのが母、その隣が父の妹(私の叔母、なんだか慌てて出てきたという風な履き物が違っているなぁ)である。

六櫻社(ろくおうしゃ)とは、日本の写真工業の草分けであり、後の小西六写真工業、今のコニカミノルタの前身となるのである。その場所は今の西新宿、昔の角筈十二社である。


父の満州での足跡を調べた、1973(昭和48)年刊行の小西六写真工業株式会社(現コニカミノルタ)の社史「写真とともに百年」をひろげて、その沿革を調べてみた。

その六櫻社の創設は、小西六写真工業、今のコニカミノルタの前身である、創業1872(明治5)年の小西本店、小西六右衛門によって写真材料機材の国産化を目指した工場として創立されたのであった。

1902(明治35)年、角筈十二社に小さなラボラトリーとして創設され六櫻社と命名された。その後、その場所は小西六写真工業・淀橋工場として発展してきた。その60余年後の1963(昭和38)年、東京都の新宿副都心計画によって東京都に譲渡された。隣接する淀橋浄水場とともに現状新宿副都心として都庁とともに高層オフィス街に変貌したのだ。

熊野神社を取り囲むような新宿副都心・中央公園、それが六櫻社、小西六写真工業・淀橋工場の跡地である。道路を挟んで池(戦後も)あった、アースダイバー的にも面白い場所である。

この診療所については、「写真とともに百年」に次の記述があった。

 六櫻病院の設置 保険施策の一環として、1941(昭和16)年2月、東京・澁谷区幡ヶ谷十二社池畔緑ヶ丘(まま)に附属診療所が建設された。内科・外科・産婦人科その他を備えた総合病院で、所長に田中宗司、副所長に藤原道純(のち玉置と改姓)が任命されたほか、各科の専門医が待機していた。同所は一般外来患者にも門をあけ、いわゆる地域のサービスにも貢献していた。この診療所が後に六櫻病院と改称されたのである。

六櫻社付属診療所は六櫻社、小西六写真工業・淀橋工場の至近にあったと思う。その場所を特定しようとしたが、「澁谷区幡ヶ谷」「十二社」「池畔」「緑ヶ丘」と、なんだか寄せ集めの地名では、地図があっても、なんともである。

Posted by 秋山東一 @ January 15, 2006 12:35 AM
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