GRAF ZEPPELIN /1929 | [ ALBUM , TRANSPORT ] |
CHRONOFILE のエントリー「Zeppelin NT」で、新ツエッペリン飛行船が日本に向かって海路輸送中とのこと、新しい事業が始るらしい。
そういえば、家の古いアルバムに ZEPPELIN が日本に来た時の写真があったよな、と思い出した。これらの写真は、水戸で写真館を経営していた祖父が撮ったものと思われる。
戦前の1929年(今から76年前か)の夏、GRAF ZEPPELIN (LZ127型)「ツエッペリン伯号」が世界一周の途次、燃料補給のため霞ヶ浦飛行場(その辺りを阿見原といったようだ)に寄港したのだ。
1929年8月8日ドイツ・レイクハストを出発しシベリア経由、8月19日午後6時すぎ、霞ケ浦上空に姿をみせ、東京・横浜上空を飛行をした後、午後7時40分に霞ケ浦海軍航空隊の飛行場に着陸した。
この飛行船は、当時世界最大で、その来訪はわが国の国民によって熱狂的な歓迎を受けた。米国に向けて飛び立つまでの4日間に、飛行船を見るために約30万人の観衆が飛行場に集まったんだそうだ。
その後、8月23日午後2時霞ヶ浦を離陸、アリューシャン列島に沿い、アラスカ上空を経由して、25日にサンフランシスコ上空を経てロサンゼルスに着陸。その後、ニューヨークへ向かい、1929年8月29日午前7時、「ツェッペリン伯号」は世界一周を達成した。
世界一周の記録は、総飛行時間288時間11分、飛行距離3万2790km、総期間21日間と5時間31分であったそうだ。
この時の霞ヶ浦の巨大な飛行船格納庫は、第一次世界大戦の賠償として、ドイツ・ユーデルポルクから移築されたんだそうだ。間口73m、奥行240m、高さ35mの規模だそうだ。
「ツエッペリン伯号」の寄港目的の燃料補給とは、推進エンジン用で米国から運び込まれたLPガスだそうだ。これが歴史上日本で初めてのLPガスなんだそうだ。
その後、飛行船の黄金の時代は1937年のニューヨークでのヒンデンブルグ号の事故で終焉する。第二次世界大戦勃発も間近であった。
MORI さん、はじめまして、こんにちは。
ツェッペリンの写真拝見しました。保存状態がいいですね。格納庫から出ようとしている写真はまったく同じものですね。
私もツェッペリンの写真を2枚持っていました。本日つぎの
HPで公開しましましたので、一度見て下さい。
りりこさん、はじめまして。
霞ヶ浦のツェッペリンの格納庫を組み立てたのは、現在の清水建設だそうです。こんなHPがありました。
http://members.at.infoseek.co.jp/donauwalzer/zp.html
りりこさん、ごぶさたしてます。いろんな発見があって面白いですね、
あの頃の霞ヶ浦飛行場は、茨城県阿見町というところにあるのですが、ツエッペリン到来の記念碑があるというので、ちょいと出かけたついでに探してきました。ありました。
そういえば、祖父は建築家で(どこかの建築会社の人だと思う)
霞ヶ浦のツェッペリンの格納庫を作ったと言っていました。
子供と話すのが不得意な人だったので、
どんな風に関わっていたのかは知りませんが。
戦前のアサヒグラフで来日の記事を見たことがありますが、実際の写真は迫力がありますね。
Posted by: komachi @ January 10, 2005 09:56 AM