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魯迅の硯 1986 /正伝

Stationery

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ブログ KOMACHI MEMO の「魯迅の硯」、そしてそれをうけてブログ〔東アジアは「停看聴」}では「北京の硯」と、硯の話題が流行だ。


KOMACHI MEMO の眞鍋さんの記述通り、1986年の東アジア世紀末研究会の上海旅行で、魯迅(ろじん)晩年の住まいであった魯迅故居を訪れた時、魯迅の使っていた机の上に、小さな四角くて丸い硯があった。

その時、その硯についてフムフム......という感じであったが、その硯を別の場所で見つけたことから、それはブームになっていったのであった。

ソ連のピオネール組織を模した(今は知らないが、そのころ中国は社会主義国だったのだ)少年団の施設「少年宮」を見学させられた時だ。そこで課外活動の学童達が使っていた硯が、魯迅の硯と同じものだったのだ。その上、中華風精進料理を食べに行った玉仏寺の坊さんも使っているのを見てしまったのだ。

すなわち、あの魯迅の硯は、学童から坊さんまでが使っているくらいポピュラーな、定番というべき物であり、今、ここ上海のどこかにあるのだ。
その時初めて、東アジア世紀末研究会メンバーの物欲は、カシミヤのセーター(その頃の上海土産の定番)から、その硯を買って、日本に帰る。日本で「魯迅の硯」だと云って自慢するという方向に向かっていったのだ。

しかし、それは適うことにはならなかった。メンバーの誰一人としてそれを手に入れて帰国することにはならなかった。
帰国前日、皆が蘇州へのツアーにでた丸一日、私は上海市内に居残り、必死になって「魯迅の硯」をゲットすべく市内を歩き回った。しかし、発見することにはならなかったのだ。
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その魯迅の硯への思いは違う方向から適うこととなった。翌年1997年初め香港旅行にでかけた東アジア世紀末研究会の重鎮、吉松真津美翁が香港市内で発見、我々にお土産としてお持ち帰りいただいたのであった。

というわけで、今、ここにある。
大きさ 98mm×98mm 高さ 18mm(蓋なし) 24mm(蓋付き)

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硯の一つの面にダイモが貼ってあった。いつもの日付はなかったが、[よしまつ ほんこん]と刻印されていた。それは吉松氏にいただいた香港土産という意味なのだ。

図解・[上海MONO/東アジア世紀末研究会/上海旅行1986]



その時、上海で買い求めた硯(魯迅の硯の代わりに)、真ん丸い硯(直径122mm)は母にプレゼントしたものだが、今、手元にある。
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Posted by @ September 9, 2004 07:27 AM
Comments

どうもどうも、吉松翁、コメントありがとうございます。

記憶力云々、たいしたことではありません。眞鍋さんが話題にしなければすっかり忘れていましたから。
引き出しから出して(未使用ですが)見たら、ちゃんと[よしまつ ほんこん]のダイモが貼ってありました。でも、ダイモを貼ったという記憶はまったくないのです。

上海のあの日、中華書店だったかな、で買った「.....民居」を皆さんに自慢したら、次の日の朝、吉松さんと眞鍋さんは本屋の開店に合わせてでかけ、ゲットして帰国のバスに間に合わせたのですが......、ですよね。

Posted by: 秋山東一 @ September 11, 2004 05:28 PM

重鎮だなんてめっそうな。ただの阿呆の軽ちん○です。古都蘇州ツアーをキャンセルまでして捜しまわるほどの、思い入れ品とはしらなんだ。それにしても師匠秋山大人の記憶力はたいしたものです。18年も前のこと等とっくに忘れていました。そうなんだ、あの頃はこのあたしめもまだ40代後半で、旅先でもけっこう元気で歩き回っていましたっけ。「魯迅の硯」なるものを香港で見つけたのは九龍側のごくありきたりの文具等を売っている店だったような記憶があります。前年の上海旅行で評判になっていて頭の隅に残っていたのでしょう。師承のものは未使用のようですが、わたしめのもの(どこぞへか納って忘れていましたが、話題になっているので探し出しました)は、その頃祝儀袋の氏名書きなどに盛んに使い、すっかり汚れてしまっています。いつのころからか不祝儀の方が多くなって、この頃はすっかり筆ペンにとって変わりました。裏を返すとHKD15.00のシールが貼ってありますので、当時のレート¥18.00で270円。まったくの学用品だったんですな。そんなものに眼を付け血眼になって捜しまわる。なんってこった。値段じゃないよ、目だよ。

Posted by: 阿Y @ September 11, 2004 05:03 PM