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リートフェルトの平行定規

Architecture

rietveld_31.gif
リートフェルト展の展示物の中に彼の平行定規がありました。

彼のデザインした数々の椅子は「作品」ということになりますが、これは唯一、展示されていた彼の「道具」というものです。

今回の展示の趣旨「職人であり続けた........」を象徴しているような展示物でありました。

この展覧会のパンフレットにも出ていなかった(買ってないのですが....)と思われるので、又、写真に撮ってというわけにもいきませんから、記憶していた姿をスケッチしました。

AO というような大きな製図板ですが、定規は木製、横長な把手が付いていました。原理的には僕等が使っていた(今は使っていませんが)ものと同じです。ループ状のワイヤーに定規が固定され、その固定された部分が平行移動するようになっている仕掛けなのです。特別目に付いたのが滑車の大きさです。まるで MECCANO で作ったみたいで、ずいぶんと大きく、カッコがいいのです。

ずいぶんと傾けて使っているようで、ワイアについた鉛製とおぼしき重りが特別でありました。

とにかくこの絵は私の記憶だけですので、こうだった、ああだったというご意見いただければと思います。

リートフェルト展

Posted by @ March 5, 2004 08:16 PM
Comments

あの滑車の軸受けにはベアリングの付いたハブがありました。
ベアリングの歴史を調べてみたら、19世紀末にボールベアリングが自転車に採用され、1907年に専業メーカーがスウェーデンで発足してます。その翌年から自動車が量産体制に移行してます。
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/m-seki/rekisi.htm
ですから、リートフェルトの平行定規は当時の最先端技術を採用していたわけです。

Posted by: S.Igarashi @ April 15, 2004 10:03 AM

橋本@宇都宮美術館です。継続調査により、少しばかり訂正と付加情報をお知らせしましょう! まず、先に「リートフェルトの次女ハネッケ」と書いたのは誤りで、シュロイダー邸の施主であるシュロイダー夫人の次女「ハネッケ・シュロイダー」でした(平身低頭)。ハネッケは、リートフェルト事務所で修行した後、友人と一緒に建築家として独立します。その際に、この製図板を受け継ぎました。さらに、その友人が大切に保管し、1999年に、ユトレヒト市立中央美術館に製図板を寄贈されたとのこと。決して遺品が多くないリートフェルトですが、木槌など自作の工作道具は、徒弟のファン・デ・フルーネカン(赤と青の椅子などを手がける)が受け継ぎました。製図の技術自体については、よく言われているように必ずしも「図面が描けない大工」(エル・リシツキーによる)ではなく、シュロイダー邸の詳細図は、きちんとツボを押さえています。これらは、これまで余り展覧会で紹介されたことがありませんでした。面白いのは、製図する紙に拘らなかったことで、メモ用紙、便箋、封筒のウラなどにも描いています。しかも、描いたらそれに何でもかんでもメモする、そして簡単に捨てるのも厭わず。なので、逆に施主や工務店の人たちが心配してゴミ箱から図面(スケッチ)を拾い出して、後々まで取って置いたものが、ユトレヒトの美術館に収蔵されています。それらは、どれもしわくちゃで、判読不能だったり、手垢にまみれているのがご愛嬌です。

Posted by: Yuko Hashimoto @ April 11, 2004 03:30 PM

五十嵐さんの MADCONNECTION にリートフェルトの平行定規の3D画像が登場した。
http://madconnection.uohp.com/mt/archives/000215.html
今回、日本でのリートフェルト展を企画運営されている宇都宮美術館の橋本さん(ここにもコメントいただいた)の計らいで、撮影・実測が可能になった。
私も五十嵐さんに同行させていただくことになっている。
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現在、「リートフェルト展」は大幅なバージョン・アップをして、宇都宮美術館で始まった。
府中では全く実現できなかったインスタレーション「シュロイダー邸インテリアの部分再現」、スライド・ショー「シュロイダー邸=ベルリン・チェア」のほか、研究目的で再制作した子供用家具なども特別出品だそうだ。展示面積も格段に広く、内容や展示デザインも充実。関連事業も盛り沢山であるとのこと。
詳細は宇都宮美術館HP。会期は3月28日〜5月23日である。
http://u-moa.jp/jp/index.html

Posted by: 秋山東一 @ April 5, 2004 12:06 PM

私は府中市美術館で「これはリートフェルトが作ったものではありません」と言われましたから、正に新事実ですね!
ユトレヒトの美術館の方も気づいてなかったのですね。
職人は自ら道具を考案・作成、または改良しますから「職人であり続けた........」を証明することで、素晴らしいですね。

Posted by: S.Igarashi @ April 3, 2004 11:50 AM

Yuko Hashimoto さん、コメントありがとうございます。

リートフェルトの平行定規は、僕にとって一つの驚きでした。これこそ職人リートフェルトの存在の証かと思いました。こんなものを見られるとは思ってもいなかったのですから。

宇都宮美術館で彼の平行定規を、もう一度見に行きたいと思っています。

Posted by: 秋山東一 @ April 2, 2004 11:54 PM

五十嵐さんの素晴らしいスケッチには敬服の至りです。また、秋山さん、玉井さんの説明も、とても貴重で勉強になりました。ちなみにあの製図板は、リートフェルト自身が作ったものであることが、今日になってオランダの美術館の方の追跡調査で判明! しかも若い頃の製作で、シュロイダー邸の設計にまさしくこの製図板を使ったそうです。リートフェルトが家具工房を開いたのが1917年、「赤と青の椅子」の原型を作ったのが1918年、そして初めて設計事務所を設立したのは、シュロイダー邸が竣工した翌年(1925年)ですから、おそらくこの間の製作に違いありません。ちなみにこれを美術館に寄贈された方は、リートフェルトの次女ハネッケ(1950年代にはリートフェルト設計事務所の所員として活躍を始める)の友人ということですので、やはり設計に携わる人だったのでしょう。これ以外にも、リートフェルトは道具類を自分で作ることが多かったようです。修業時代は、金属工芸やジュエリーも手がけていましたので、実は木工以外のワザにも長けています。

Posted by: Yuko Hashimoto @ April 2, 2004 11:33 PM

MADCONNECTION の五十嵐さんが、目測だけで実測してくださいました。
経験ある建築家の目は正確にその物の「構造」をとらえていてくれます。3Dにしてくださるとのこと、期待しちゃいましょう。
http://madconnection.uohp.com/mt/archives/000195.html

Posted by: 秋山東一 @ March 22, 2004 12:43 PM

遅ればせながら、昨日見てきました。
製図板上部の製図板に水平に設置されたプーリーは大きい方が直径が65ミリくらい、小さいのがそれより直径で20ミリくらい小さくみえた。それが大小一組で左右にありました。それで左側が上に大きいプーリー、下に小さなプーリーが同軸で逆回転するように設置され、右側はその逆で、下が大、上が小になってました。こうしてワイヤーをたすき掛けにして、交差する個所でワイヤー同士が接触するのを避けているようです。製図板の下側の製図板に垂直に設置されているプーリーも直径が65ミリくらいです。垂直のプーリーに掛けられたワイヤーは上のワイヤーは水平の上側のプーリーに掛けられてました。
定規は幅が約80ミリ、厚が5〜6ミリで長さはA0の製図板の幅約1200ミリから、左右に40ミリくらいはみ出してます。飛び出した部分の定規幅が40ミリで、定規幅80ミリとの差分は1/4円の円弧で納められてます。定規に設けられた横長の把手は鉛筆受けにもなっているようです。
それで、コンベックスを取り出して目測していたら、係員に「困ります。」と注意された。けれども、本体に触ったりしていないのに、これでした。
Googleで平行定規を検索したら、現在の平行定規の主な用途は建築士試験で使う為の、A2製図板と一体になったモノが殆どなのですね。僕らの頃はT定規しか使ってはいけなかったのに、これも時代ですかね。CADが全盛になった今では建築士試験にその販路を求めていると云うことです。因に、僕らにとって平行定規といえば光栄堂でしたが、光栄堂は神田から千葉の方に移転して頑張っているようです。光栄堂の平行定規もシンプルで優れてますね。あの定規の中にワイヤーを通して交差させるというアイデアは定規のカバーのアルミという素材によって可能になったのでしょうね。

Posted by: iGa @ March 12, 2004 09:44 AM

 ぼくも、あの平行定規、とりわけ大きな滑車がついているのがとてもかっこいいプロポーションで魅力的だと思いました。おそらくいいベアリングのない時代には滑車を大きくすることで回転をスムーズにするしかなかったのでしょうが、機械の進歩とか技術の変化とかいうこととは無関係に、いつまでも魅力的であり続けるものがあるのだということが、よく分かる道具でした。
この美術館の中のものを、どれかひとつあげるよと天国からリートフェルトが言ってくれたら、ぼくは躊躇なくこれを選ぶでしょう。
あとでもう一度見に来ようと思っていたのでしたが、最後に入った部屋にレッド&ブルーの椅子の模型を作るコーナーがあったので、ぼくはそれを作りたくなってしまいました。そこで思わぬ時間を食ってしまったので、平行定規に戻るのをすっかり忘れてしまいました。
 というわけで、ぼくもディテールを憶えていないのです。これからいらっしゃる方のリポートを期待します。
 そうそう、リートフェルトの篤実な笑みを浮かべた写真が誰かに似ていると、前々から思っていたのですが、ロバート・デ・ニーロだったことにさきほど気づきました。

Posted by: 玉井一匡 @ March 6, 2004 10:13 PM