030805

Charles and Ray Eames

Architecture , Mag

Casa BRUTUS のチャールズ&レイ・イームズの特別号を見ている。

book_eames.gif

チャールズ・イームズの1977年のインタビュー記事が076ページに載っている。
その中でのイームズの「建築家」の話がすてきだ。
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Owen Gingerich :
たいていの人はきみをデザイナーと呼ぶわけだが、きみ自身は自分は建築家だと考えているだろう?椅子はそれとどういう関係があるんだい?

Charles Eames :
前に話したことがあると思うんだが、僕らはすべてを建築と考えているんだ。椅子も建築だし、映画も建築だ。新聞の第1面に構造があるのと同じように、映画にも構造がある。椅子はまさに「ミニチュア建築」なんだ。建築家にとっては建築物をコントロールするのは難しい。工事業者やもろもろの圧力がのしかかってくるし、何をするにも金がかかる。だが、椅子の場合はほぼ等身大で扱える。だから偉大な建築家たちは椅子に関心を持つのさ。フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ、ル。コルビジェ、アルヴァ・アアルト、エーロ・サーリネン---数え切れないほどの建築家が椅子を手がけている。その理由は、実際に自分自身の手で作れるからさ。

Owen Gingerich :
「デザイナー」という言葉がいやなの?

Charles Eames :
「デザイナー」という語に違和感があるというよりは、「建築家」という言葉とそこに含まれる意味のほうが好きなんだ。「建築家」という言葉には、構造とある種の分析という意味、そして一種の伝統が含まれている。・・・・・・

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「建築家」という言葉には・・・一種の伝統が、ここのところ、すごく深いと思った。


aki's STOCKTAKING: CHARLES & RAY EAMES 展

Posted by @ August 5, 2003 01:00 AM | TrackBack (1)
Comments

河さん、コメントありがとうございます。いかほどかように、話が進展してコンセンサス・・とはいかなくても、と考えています。
ぜひ、my blog を・・いたしましょう。

Posted by: 秋山東一 @ August 27, 2003 04:41 PM

どんなに新しい考えでさえも、先人たちの足跡の上に成り立っているところが誇りでもあり、困ったところでもあります。
イームズも己一人ではなく歴史の系譜の中に自らを置いて考えていたのだとしたら”歴史”と言い換えても良い気もします。

Posted by: kawa @ August 27, 2003 04:23 PM

もちろん、architect ですね。
しかし、イームズって人は物事を難しく考える人ではなかったようですから、一種の伝統・・は、一種の tradition と素直に考えてよろしいのかと思いますが。

Posted by: 秋山東一 @ August 5, 2003 12:16 PM

この特別号は2001年のイームズ・デザイン展に合わせて発行された特別号のリメイク版ですね。タイトルや表紙やページ構成は変わっているけれど、中身は殆ど同じようです。

「建築家」でも「アーキテクト」でもなくて「architect」なんでしょね。日本語の「建築家」には残念ながらそうしたニュアンスを感じることはできない。

「・・・そして一種の伝統が含まれている。」の「伝統」の原文は何だろう?もしかして「arch」なのかな。訳者が「arch」を「伝統」と訳したとも考えられる。
イームズの考えからすれば「archetype」に近いニュアンスなのでは、と思ったりして。

Posted by: 五十嵐進 @ August 5, 2003 09:15 AM