030806

横浜・三沢下町

Architecture , etc.

昨日(8月5日)Be-h@us の打合せで、横浜にでかけた。

横浜駅から車に乗せられ、三沢公園を過ぎた辺りのファミレスで打合せ、帰りは東横線反町に送られた。
その車から沿道の風景を何気なく見ていたら、何か既知のものに思えてきた。この辺りは最近きたこともないが、かっての現場「Iさんの家」ではないかと思い出した。
そして、反町の駅についた時、そうだ、探してみようと思い、今、送られた道を引き返した。

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「Iさんの家」は、私が東孝光建築研究所に入所して、初めて担当した住宅であった。1968年の夏からはじまったのだから、まだ25才の頃、35年前の話だ。

この東西に走る広い街路(後で国道1号と知る)をまっすぐ西に歩く、道路から北側の斜面に「Iさんの家」は見えたはずなんだ。道路際は昔は建っていなかったであろう高層のマンションやオフィスがあり、一歩、山側の道を歩きながら探す。
教会にぶつかる、でもそんな記憶はない、まだ離れているのであろう。でも「三沢下町」という表示にぶつかる、それもなんとなく思いだした。
そのまま、まっすぐ丁字路にぶつかる、そろそろ帰らねば、きりがないしと思いながら、右手の坂道を見た時、そこに赤い鳥居が見えた。

ビンゴ、「Iさんの家」はお稲荷さんの西側だ。昔、地鎮祭の時、お供え物に油揚げを用意したことでよく覚えている。

ゆっくり上がる、もうないかも知れないし、建替わっているかもしれないし。

お稲荷さんの鳥居の並びの向こうに、見えた、そのまま、外壁はサイディングに張り替わっていたが、35年間経った今も、使われていたのが見えた。


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左は都市住の1969年の写真、右は2003年の写真(道路の向い側のマンションの4階から)

[都市住宅6908]特集 東孝光建築研究室・共同作業論の真中に8頁にわたって写真がでて、blog 風の建設日記がでておった。

その頃、カッコいい住宅がやりたくて、やりたくていた。
その頃は、都市住宅の「アメリカの草の根」と題する特集で紹介されていた、アメリカの最新住宅、ムーア や ヴェンチューリ その他、たくさんの建築家の住宅作品に魅せられていた。

庇のない幾何学的な形体やばっさりと切り取られたような面、吹抜けやブリッジによるダイナミックな内部空間等々、そんなものを、現実に試したくて試したくて、うずうずしている建築少年であったのだ。

Posted by @ August 6, 2003 01:00 AM
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