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僕とアップルのおいしい関係

Apple , Mag

この一文は、1989年に発刊された「HyperLib Jabuary/February 創刊号」に書いたものである。
AppleII から Macintosh、そして HyperCard という個人的な体験を語ったものである。


僕とアップルのおいしい関係


Once upon a time・・・・

昔、アップル II があった・・・・。いまでもあるよという声が聞こえる。言い直さなければならない。

アップル II しかなかった。マウスもなかった、ハードディスクも、ただのディスクドライブもなかった。あったのはアップル II 本体とパドルと呼ばれたジョイスティックみたいなもの、壊れかけたカラーTVとやくざなカセットレコーダーだった。別にお金のせいではない。いま、当たり前のいろいろなディスクドライブ、マウス、その他もろもろなかたのだ。その上、ソフトなんてものもなにもなかった。カセットに入った<スタートレック>と<スターウォーズ>なんていう、今から見るとひどく幼稚なものしかなかった。

でも幸せだった・・・・。

僕にとってアップル II は"おもちゃ"だったからなんだ。子供の頃遊んだ、<エレクション>っていう組立キットと同じなんだ。金属製のいろんな部品をネジで組み立てる。1つの部品で橋にもクレーンにも自動車にも組み立てることができる。そんな"おもちゃ"と同じなんだ。アップル II の画面、その中に字を書き絵を描き、そこで動かすこともできる。そんな"おもちゃ"なんだ。

AppleII.GIF

BASIC、ミニアセンブラを使って散歩しているという雰囲気だったのだ。また、今と違って何もかも簡単で素朴だった。

ちょこちょこと数行のBASICで、メモリー内部、画面表示部をくすぐり、グラフィック機能を使ってアニメーションまがいを作り出すなんてものだった。

それは、僕をとっても夢中にさせてくれる"おもちゃ"だったのだ。

そんな時代もあっと言う間の出来事だった。ディスク II というディスクドライブもできたし、ランゲージカードというボードで8ビットめいっぱいのメモリーも64K使えるようになったし、PASKALも使えるようになった。そして、ディスクベースでいろんなソフトが使えるようになってきた。僕が"おもちゃ"にしてきたアップル II が、なんだかそれどころではなくなってきたのだ。今のスプレッドシートの元祖、VisiCalcなんてのが出て来ると、もうなんだか偉そうな機械になってきてしまった。

でも、アップル II は基本的に昔のままだった。とてもオープンで、フレンドリーな顔をしていた。

1982年のピンボール

ハードは全然変わらないままに、ソフトだけは、これでもかこれでもかとすごいのが出てきた。どうしてこんなことができるのという感じなんだ。そんななかでも、ビル・バッジの"ピンボール・コンストラクションセット"が出てきたとき、もうアップルでこんなところまで来たのかという感じがした。アップルのグラフィック画面の中で、ピンボールゲームというプラモデルを作るように、ジョイスティックで組み立てることができるのだ。フリッパーを取付け、バンパー、トラップも自由に配置し、オリジナルのピンボールを作り出すのだ。その部品1つひとつを配置するだけで機能するというところがすごいのだ。今、思えば、マックペイント、ハイパーカード的な部分を感じるのだ。

ビル・バッジはアップル社でリサの開発を手伝っていた。そんななかで、ピンボール・コンストラクションセットを作り出したのだ。彼は、これを<ソフトウェアトーイ>なんて言っていた。そのとき、スーパーパーソナル・コンピュータを"おもちゃ"にするのも僕は夢想した。

マックがやってきた、1984年の春

はじめてのマック、マッキントッシュがやってきた。それはもうアップル II とはまったく異なっていた。今まで夢みていた、今度のマシンはこうなるであろうと思っていた。スーパーパーソナル・コンピュータ、あのワークステーション、リサの小型版というところだ。とにかく、それはマウスがついてるし、ビットマップディスプレイ、アイコン、プルダウンメニューというすばらしいものだった。一緒についてきたマックペイント、これはひどく気に入った。コンピュータで絵を描くということが、すばらしく簡単にできる。今までアップルライトペンを使ってのに比べたら格段の使い勝手だ。カット&ペースト、アンドゥ機能と、今まで想像もできなかった道具なんだ。マックは、そんなソフトと相まって、すばらしい道具だった。そんなアプリケーションを使って道具になっても、僕が望んでいる道具とはほど遠いものだった。すばらしい環境を作り出してはくれても、アップル II とは違って中に入り込めなくなってしまったのだ。MSBASIC、リソースエディタなんてのもいじっても、マックでちょっとしたプログラミングをやっても、マックの作ってくれた環境のなかで表面だけさわっているみたいな感じがするのだ。

Mac.GIF

マックの内部はとても複雑、ちょっとした内部の散歩というわけにはいかなくなってきたのだ。中味を知りたければ、<インサイドマッキントッシュ>なんて電話帳みたいに分厚く、何かを作ろうなんて、ちょいと考えられない世界なのだ。「もう、君は中味を知らなくてもよい、このすばらしいマックの環境を使いたまえ。それで十分なはずだ」とジョブスが言っているという感じがしたのだ。

結局、僕のマックは、マックペイント専用マシンとなってしまった。

すっごくすぐれた道具にはなっても、それ以上のアップル II を"おもちゃ"にしていた感じとは程遠いのだ。
 

そして、1987年の夏

ハイパーカードが・・・というような話を耳にするようになった。どうもそれはすごいらしい。僕のマック、マックペイント専用マシンは、512Kにはなっていても、マックプラスにバージョンアップをせずにあった。

ハイパーカードは走らない。とにかく、再び僕はマックが欲しくなったのだ。

そして、やっと僕もマック II を手に入れた。5メガのメモリー、80メガのハードディスクだ。そして、ハイパーカード。

マック II はひどく大きな機械だ。あの98よりも大きいではないか。小さくて、スマートで机の上の面積は小さいと気取っていたマックの面影はもうない。でも僕はひどく安心したような気分になった。上のフタは大きく開いてアップル II みたいなんだ。それにスロットもあるのだ。早速、ハイパーカードを起動する。ブラウジングからオーサリングレベルへ上がるにつれハイパーカードの仕組みがわかってきた。ボタンアイデアのスタックにあるビル・アトキンソンのボタンをホームカードにカット&ペーストしてみた。

そのとき、理屈では分かっていた仕組みが分かった。ハイパーカードの"すごさ"がわかったのだ。ホームカードの上のビルのボタン、アイコンはちゃんと動いたのだ。・・・・マックペイントのカット&ペーストと同じようにペーストされた絵(ボタン)が機能するのだ。ビルのボタンをクリックすると、メッセージボックスが出て画面全体をフラッシュさせ、歓迎の言葉、"Welcome・・・・"と表示されるだけなのだが、他のカード、他のスタックとリンクしている状態を考えたとき、それはぞくっとするような興奮を覚えた。ハイパーカード自体の住所録、カレンダー、日記、メモ等々のシステム手帳みたいなアプリケーションに目がいってしまって、気がつかなかったが、その裏に隠れた、ハイパーカードのオーサリングツールとしての機能に気が付いたのだ。それは、プログラミングできるマックペイントみたいな感じなのだ。また、アップル II のあのピンボール・コンストラクションセットを思い出した。

マックの画面って結局、ビットマップディスプレイの上にボタンがついているのだ。それを自分自身でつくりだし、コントロールできるようになったのだ。

ハイパーカードによって、やっとマックはオープンな機械になってきたのだ。アップル II に用意されていたApple BASICと同じように僕等のさわれる機械になってきた。もちろん、もっと豊かで、もっと高度な環境だ。マック II とハイパーカードで、再び僕の"おもちゃ"は戻ってきたのだ。
また、幸せになった。


秋山東一
ハイパーリブ HyperLib 1989 Jabuary/February 創刊号所収

Posted by @ July 1, 2003 06:19 PM
Comments

かば◎ さんとは、びっくりです。
ビル・バッジの「Pinball Construction Set」は、昔、ちょっと遊んで、アスキーのゲーム雑誌「ログイン」に原稿を書いたことがありました。Mac 登場の寸前という時期で GUI が新鮮な頃でした。
このブログで細々、T-34も持続しておりますです。よろしく。

Posted by: 秋山東一 @ September 19, 2006 10:58 PM

ご無沙汰しております。かば◎@T-34maniacsです。
たまたま仕事の関係でappleIIの「Pinball Construction Set」の情報をググっていたら、なんと秋山さんのサイトに!
というわけで足跡を……唐突なヤツと笑って下さい。

Posted by: かば◎ @ September 19, 2006 07:24 PM

「僕とアップルのおいしい関係」はハイパーカードのことを書いたのでした。
このハイパーカードに夢中になった様に、今、この blog のエンジン、MovableType に、あの頃と同じような喜びを感じるのです。ここにはあるのです Fun to ... があるのです。

Posted by: 秋山東一 @ July 4, 2003 07:59 PM

赤木さん、こんにちは。
いつも「しんせんかんそ」拝見しております。

当方、古い話しばかりで申し訳ありません、「STOCKTAKING 棚卸し」というのは、骨董品屋で、行われていると思われているのではないでしょうか。でも、昔はみんな新品だったのです。

まずは。

Posted by: 秋山東一 @ July 3, 2003 11:03 AM

秋山様、

当時のことを懐かしく思い出しました。僕はApple IIはコンパチしか知らないのですが、Macの日本初上陸の時は、本郷の会社(ESDラボ)まで駆けつけたのを良く覚えています。大学受験をさぼって、決死の覚悟だったので(笑)。ぜひ、また、お目にかかれれば幸甚です。

Posted by: あかぎ @ July 3, 2003 08:58 AM