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HOW BUILDINGS LEARN / digest

Architecture , BOOKS

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HOW BUILDINGS LEARN
What happens after they're built


(仮題:建物はいかにして学ぶか-建てられたあと何が起きるか)


著者:スチュワート・ブランド Stewart Brand

この要約は翻訳家の村松潔氏によるものです


スチュワート・ブランドは「ホールアースカタログ」で全米図書賞 (NBA) 、「メディア・ラボ」(邦訳:福武書店、1988年)でエリオット・モントロール賞を受賞しており、アメリカでは物書きとして広く名を知られているが、当人にいわせれば、むしろ自分は発明家、文化的な発明家であり、プロデューサーのようなものだという。たとえれば本書の場合、「もちろん文章も書いたが、本のデザインもレイアウトも自分でやったし、写真も4分の3は自分で撮影した。いろんな意味で、これは書く作業というよりむしろ設計の仕事だったような気がする。だから、たぶん、本としてもそれだけ面白いものになったんじゃないかと思う」といっている。

1.建物は育つ


毎年、サンフランシスコのエリート文化人は、きらびやかに着飾った淑女たちが公衆の面前でおしっこのために行列する光景を見物させられる。オペラ・ハウスの一階の婦人用トイレが小さすぎるからである。ロビーのバーのすぐ横のこのご婦人達の行列は、オペラ・ハウスが建築された1932年から連綿として続いており、ご婦人たちのこの窮状はしばしば論議の的になるが、婦人用トイレが改修される気配はない。
どうしてこういうことが起こるのか?それは、わたしたちが世界について抱いている考えと現実のあいだには、一種不思議な<ねじれ>があり、私たちは建築は恒久的なものだと思い込まされているからだ。実際には、建物を使う人たちは絶え間なく変化しており、あらゆる建物はその変化に対応しなくてはならないのに、なぜか、わたしたちは建物は動かないものだと考えている。その結果、当然ながら、ほとんどの建物は変化にうまく適応できない。そういうふうに設計されていないし、そのための予算もなく、構造や保守管理のやり方や法律や税制もそれを考えに入れておらず、改築するときでさえ将来の変化を考えようとしないからである。

建物は変化する。建物は刻々と成長し、みずから学んでいくものである。

わたしたちの生活にとって、あらゆる文明にとってきわめて重要な<建物>-わたしたちの生活の大部分、世界のさまざまな活動の大半は<建物>のなかで行われているのだから-について、いまわたしたちは根本的に考え方を変える必要があるのではないか。建物を単に空間的な構造物としてとらえるのではなく、じかんという要素を考えに入れ、この世界に生まれ、様々な成長を遂げ、やがては死に至る存在としてとらえなおす必要があるのではないだろうか。

こういう視点に立つ理論やすでに定着した実例があるようには思えないので、本書では、まず手始めとして、<時間が経つにつれて建物に何が起こるのか?>を調べることから始めようと思う。

建築家ルイス・サリヴァンの「形は機能のあとについてくる」という言葉は今世紀のモダニズム建築のスローガンになったが、そのおかげで建築家は自分たちが実際に建築物の機能を予測できるかのような錯覚を抱いてしまった。これに対してウインストン・チャーチルは「我々が建物の形を決めると、その建物が今度は我々の形を決定する」と言っているが、こちらのほうが実際の建物と人間の相互作用にもう一歩踏み込んでいると言えるだろう。

今世紀に入ってから、アメリカやヨーロッパの住宅はすっかり様変わりした。召使いがいなくなり、車が登場して、次第に大型化し、数が増えたかと思うと、今度は小型化した。テレビを中心に据えた居間が拡張され、60年代には女性が職場に進出して、職場と家庭の双方が変わった。やがて、経済的な変動やストレスが大きくなり、いまではいわゆる核家族がさらに細分化しているが、住宅はまだこういう変化を追いかけている途中である。

オフィス・ビルは、いまや先進国では最大の資本資産であり、全労働人工の半数以上がそのなかで働いている。オフィスでは、経営理論の盛衰とともにレイアウトが変えられ、通信技術の革命や石油危機、建築材料の変化や消防法・建築基準法の改正などによって、どんどん変化を要求される。アメリカでは、1980年代の10年間に住宅のリフォームは倍増し、商用ビルの改修に使われた費用の総額は新築ビルの建設費の1.5倍に膨れ上がっている。

建物は(1)技術、(2)資金、(3)流行に絶えず引きずりまわされる。建物を取り巻く状況の変化への対応の仕方は、それが商用の建物か、住宅か、公共建築かによって大きく異なるが、あらゆる場合に通用するひとつの原則がある。それは、<すべての建物は成長する>ということである。

人はどんな建物に愛着を持つのか?鍵は建物の<年齢>である。年輪を重ねた、成熟した建物。古くて、擦り切れてはいるけれど、手入れの行き届いている、ちゃんと使われている建物である。ブルージーンズは、何年も穿いて色が褪せてきた頃、ぴったり体に馴染んだ、ほんとうにいいジーンズに、店では買えない、自分だけのジーンズになるが、そんなブルージーンズみたいな建物。そんな建物はあるのだろうか?そういう建物を作ることができるのだろうか?


2.建物は6つの層でできている


著者は、イギリスの設計事務所DEGWの共同設立者、フランク・ダフィの説を援用して、建物は6つのSで構成されるとしている。

(1)敷地(SITE)--これは地理的条件であり、都市のなかでの位置関係であり、法律的に定義された区画で、建物が世代交代しても変わらない。

(2)構造(STRUCTURE)--基礎や荷重を支える構造物を変えるのは危険であり、費用が高くつくので、普通は変えない。この部分の寿命は30〜300年だが、建物はほかの理由で60年以下で取り壊される。

(3)外装(SKIN)--流行や技術の進歩などから、外装は平均して20年程で取り替えられる。

(4)設備(SERVICES)--建物の内蔵にあたる電力・通信などの配線、配管、空調設備、スプリンクラー、エレベーターなどの稼動部分。7〜15年で老朽化または時代遅れになる。これが建物に深く埋め込まれすぎていると、交換が難しく、建物自体が取り壊されることになる。

(5)空間設計(SPACE PLAN)--内部のスペース配置(壁・天井・床・ドアの位置など)。変動の激しい商用スペースでは3年ごとに変わったりもするが、いまどき珍しい平穏な家庭なら30年もつこともある。

(6)家具調度(STUFF)--椅子、机、電話、絵画、台所用品、ランプ、ヘアブラシ等々。毎日あるいは毎月のように動かされるありとあらゆるもの。

Layer.gif6つの層はそれぞれ順を追って設計・建設される。6つの層は変化の速度が異なるので、それぞれの時間的尺度に応じた解決策をとる必要がある。

この6つの層は建物と人間の関係にも対応している。(6)家具調度のレベルでは建物は個々の人間と関わり、(5)空間設計のレベルでは居住者の組織(住宅なら家族など)と、(4)設備の問題では家主と、(3)外装や出入口では一般公衆と、(2)構造物の広さや容積率、(1)敷地に関する制限などについては建築規制などを通じて地域社会全体と関わることになる。

生態系も、それぞれ時間の流れ方の異なるいくつかの層(例えば草花や虫、樹木、森)で構成されており、時間の流れがゆっくりしている(変化が遅い)層がその全体を決定しているが、建物についても基本的には同じ事がいえる。ただし、変化の速い層から遅い層へのフィードバックも重要で、建物の設計に際しては、変化のペースの異なる6つの層の<ずれ>を許容する柔軟性をもたせることが大切になってくる。


3.「なかで何をしようとだれも気にしない」--Low Road


1990年にアップル・コンピュータ社のジョン・スカリーと雑談しているとき、建物の話になった。会社を拡張するとき、古いビルに入るのと新しくビルを建てるのとどちらが好きか、とわたしが聞くと、彼は「もちろん、古いビルさ。そのほうがずっと自由にできるからね」と言った。

なぜ古い建物の方が自由に出来るのか?どんな古い建物が人を一番自由にさせてくれるのか?

古い農家を新居に選んだ若いカップル、がらんとした倉庫に店を開く経営者、裏町の隙間だらけのロフトを譲り受けたアーティスト。みんなどんなふうに改装しようかとわくわくする。こういう建物に共通するのは見捨てられた、広々としたスペースをもつということである。

たとえば、マサチューセッツ工科大学(MIT)でもっとも愛着をもたれている伝説的な建物は、戦争中、間に合わせに建てられた、名前もない--ただ番号で<20号棟>と呼ばれている--3階建ての木造の建物である。戦後すぐに取り壊される予定だったこの建物は、数多くの世界的な研究の舞台になり、1993年に私が訪れたときにも、まもなく取り壊される予定だとされながら、依然として残されていた。夏は暑く、冬は寒く、薄汚れて、みすぼらしく、快適な設備とは程遠いこのバラックが、どうしてそんなに愛されるのか?

「ここはMITのなかでただひとつ鋸で切れる建物だ」とある者はいう。そんな建物だけに、壁に穴を開けようが、窓を塞ごうが、床をぶち抜こうが、だれも文句を言わない。各々が自分の研究に合わせて、どんなふうにでも改装できる。スペースをほんとうに自分のものにできる。だから、世界的な研究者たちが、空調のきいたほかの建物の快適さを捨ててまで、この建物を根城にしたのである。(古い不便な建物をなるべく快適に使うためには、いろんな創意工夫がいる。そうやって、改良していくうちに、その空間がほんとうに自分のものになっていく。)こういうバラック風の建物の使われ方についてはまだ正式な研究はないようだが、著者は自分の経験からいくつかの例をあげている(著者の夫人が倉庫を借りて、通販会社のオフィスにしたり、著者自身もボートハウスを仕事場や自宅に改造して、実際にそこに住んでいる。)


4.誇り高き建物--High Road


強靱な構造とすぐれた外装をもつ建物が、何世代にもわたって一貫した意図のもとに大切に維持されると、それは単なるスタイルを越えた、ひとつの歴史的存在になる。著者は、400年の歳月を経て、今や実に自然な、完璧なまでの佇まいを見せる英国のチャッツワースの館の秘密について語り、さらに、それぞれ個性的な形で発展し保存されている、アメリカの3人の大統領(ワシントン、マディソン、ジェファーソン)の邸宅について、時と共に成長し、最終的な形に落ち着くまでの経緯を解説する。

これに対して、多くの公共建設は、長期的な使用にそなえて柔軟性をもたせるどころか、まずなによりも永続性を求め、記念碑的な巨大さを追求している。

図書館はなかなか面白い研究対象だが、アメリカの議会図書館という失敗例に対して、ボストン図書館や英国のロンドン図書寛はかなり優雅な進化の仕方をしており、人々に愛されている。

こういう建物の意地にはたいてい非常に費用がかかるが、ほとんど金をかけず、惜しみなく時間をかけることで作りあげた例として、カリフォルニアの詩人ジェファーズ夫妻の家の場合が紹介されている。


5. 建築雑誌的建物--No Road


大部分の建物は、High Roadの美点もLow Roadのよさも持っていない。要するに、時間とどんな関係を持つことも拒否し、時の経過は建物を侵食するにすぎないと考えているのである。なかでも最悪なのが有名な新築ビル、有名になりたいビル、有名なビルの物まねやそのまた物まねのビルである。

1986年に、MITにいわゆる<メディア・ラボ>館が建築された。ルーブルのガラスのピラミッドを設計した当代アメリカ随一の建築家とされるI・M・ペイの設計である。実際にこのビルのなかに研究室を持った私は、50億円以上もかけたこの華麗なビルのあまりの不便さ、融通のきかなさにショックを受けた。

しかし、これはけっして例外的なことではなく、むしろ、建築家が細かく設計しすぎた新しいビルではむしろこれが当たり前になっている。M・ミンスキーによれば、「問題は建築家が自分たちは芸術家だと思っていることだ」という。芸術は本質的に非機能的、非現実的なものであり、月並みを排し新奇を尊ぶものであり、芸術的建築は遠くから鑑賞されるべきものである。芸術は流行を生む。流行とはスタイルを意味するが、スタイルは目くらましであり、機能性とは相容れない。
元凶は建築写真にある、とカリフォルニア大学バークレー校建築学科の教授、クレア・クーパー・マーカスはいう。「仕事をとるためには賞をとる必要があるけど、その賞の選考は写真をもとに行われる。(・・・・)
人々が建物を使い始める前の、純粋に視覚的な写真だけが基準なんです」そこで、野心的な建築家は、機能を犠牲にしても、写真の見映えを優先して設計するわけである。

ロジャースが共同設計したパリのポンピドー・センター(1979年)はいまや大規模な修理が必要になっているし、ロンドンのロイズのタワーは大変な費用をかけたにもかかわらず、1988年のテナントの4分の3はむしろ以前のビルに戻りたいといっている。アメリカ建築家協会が<歴史史上最高のアメリカ人建築家>に選んだフランク・ロイド・ライトは、<まことしやかな古臭い四角い箱>を拒否して、次々と三角形や六角形や円形の構造を試みたが、「雨漏りがしないとすれば、それは建築家がそれほど創造的でなかった証拠だ」といったというし、私が「ホール・アース・カタログ」のなかで推奨したフラーのドームも、一世代にわたる経験を経た今では、残念ながら完全な失敗だったと言わざるを得ない。ドームは必ず雨漏りがするし、材料の節約になると宣伝されたが、現実には長方形の素材から三角形を切り出すなどして、大量の廃棄物が出る結果になった。しかも、ドームは成長することも適応することもできなかった。内部の空間を区切り直すのはむずかしく、外に建て増しをすることも不可能で、最初の世代にとって狭くなると、あとに入りたいという希望者はなく、空き家にして出て行くしかなかったのである。

だが、建築家が新築される建物の5%しか関わっていないのは、非現実的な設計のせいだけではない。ふつう商用ビルを計画するのはまず開発業者や投資家であり、それがゼネコンと契約し、さらにゼネコンが数多くの下請けを用いるというかたちで、作業や責任が細分化・断片化される。こういうシステムのなかでは、建築家の役割はきわめて限定されており、計画が建築家の手に渡るときには、すでにほとんど全てが決定されていることが少なくない。また、図面から実物を思い浮かべることに秀でている建築家といえども、多くの誤りを犯すことは避けられないにもかかわらず、工事途中での変更や工期の延長をタブーとするシステムのため、初めからあらゆる細部を決定することを要求される。建物を建設する者にとって、建築はひとつの<流れ>だが、建築家にとっては、それは完成された<物>でしかないのである。

建築家が拠り所とする建築雑誌や大学の建築学科でも、これまでは建築をイメージとしてとらえる芸術的側面ばかりが強調され、建築をひとつのプロセスとして、使う人間との相互作用のもとに絶えず成長し、変化していく動的なプロセスとしてとらえることはほとんどなかった。しかし、単に人を感嘆させる建築ではなく、人に愛される建築を目指すならば、建物は竣工時に完成する、いわゆるPOE(Post-OccupancyEvaluation)[占有後評価]の実施や、その評価のフィードバックが重要である。


6. 不動産としての建築


あらゆる建物は3つの互いに矛盾する生涯を送る--生活の場として、資産として、共同体の構成要素としての生涯である。アリストテレスの昔から、<使用価値>と<市場価値>ははっきりと区別されているが、建物の使用価値を高めようとすれば、年とともに、あなたの家はあなたに合った、個性的なすみかになっていくだろうし、市場価値を高めようとすれば、抽象的な不特定の買い手の要求に見合う標準的な、時代の趨勢にマッチした商品になっていくだろう。

絶えず議論の的になるのが建築規制法規の施行という問題で、これには下部構造の脆弱なそあくな建物がむやみに増えるのを防ぐという利点もあるが、住人の必要に合わせて建物が柔軟に変化・適合していくプロセスを防げるという欠点もある。都市計画における<ゾーニング>(地域規制)もこれと同じで、スラムを解消するなどの効果はあるが、歩いていける範囲にすべてがある快適な、人間的な町づくりとは矛盾する。

アメリカでは住宅の外観その他を規制する住民協定が増えかつ強化されつつあり、1990年には全米13万の地域に協定があり、カリフォルニアでは、新開発される地域の70%に住民協定が定められている。協定はたとえば天窓の有無まで規制したりするもので、なぜそれほどまでに保守的になのかといえば、その土地の雰囲気や品格と深く結びついた、建物の不動産としての価値を下げたくないからであり、建物の使用価値よりも資産としての価値が重視されているからである。

不動産に関連する金融、建設、売買はアメリカの総生産の5分の1を占める巨大産業になっているにも関わらず、この産業については驚くほど研究されていない。

不動産業は、国家の安定や建物の長寿化に寄与するどころか、狂気じみた投機の最後の戦場になっており、定期的に高騰と下落を繰り返して、経済に破壊的な影響をもたらしている。建物が投資の対象でしかないなら、だれも平均以上の金をかけてもっとすてきな建物にしようとは思わないし、町の中心部で土地が極端に高騰すると、建物の価値は相対的に低くなり、簡単に取り壊してしまえるようになる。

投資はふつう借入金でまかなわれるから、建物はできるだけ早期にその利息を上回る利潤を生み出さなければならない。その結果、開発行為は大急ぎで行われることになる。建物は長く使い込んでこそすてきなものになっていくのだが、実際の需要や使用価値とは無関係に、投資の対象として売り買いされる建物は値札を付けられた抽象的な商品でしかない。不動産業は建物からその歴史やそこに蓄積された知恵を剥ぎ取って、取り替え可能な数字に置き換えてしまう。不動産(real estate)とは現実的、物的な資産という意味だが、言葉の意味とは裏腹に、不動産とみなされたとたんに、建物は抽象的な数字と化し、あなたの歴史の刻まれた部屋は何平方メートルかの単なる空間に変わってしまう。


7.建物の保存運動--大衆による静かで保守的な革命の成功


イェール大学のヴィンセント・スカリーによれば、70〜80年代にどこからともなく現れて、50〜60年代に住環境に対して行われたすべて(モダニズム建築、都市再開発、短期の投機的開発)を元に戻そうとした歴史的建築の保存運動は「今世紀の建築の流れに重大影響を与えた唯一の大衆運動」だったという。

これは自然保護運動ほどマスコミには取り上げられなかったが、経済的効果をうみだした為、静かに全国に拡がっていった。見捨てられた古い石造りの建物を修復すれば、その不動産としての価値が上がるし、それが割に合わない場合にも、税制・融資の面での優遇措置がある。19世紀の中頃、ジョージ・ワシントン大統領の旧宅を保存しようという愛国的なボランティア運動で始まったこの運動は、ジャクソン大統領の旧宅、ポール・リヴィアの家などに広がり、やがてチャールストン市が旧市街全体を<歴史的風致地区>に指定するに及んで、静かに全米に拡がっていった。

こういう動きに刺激されて、商業的にも、たとえば古いチョコレート工場をショッピング・センターに改装したり、穀物用のサイロをホテルとして蘇らせたり、ちょっと変わった雰囲気が独特の魅力になって成功する例が増えている。ここでもまた、さまざまな制約がかえって人を自由にし、創造的にさせている。わたしたちは60年後に歴史的建築保存主義者に高く評価されるような、柔軟性をもった建物を設計すべきなのではないだろうか。


8.保守作業のロマンス


建物の保存作業を怠れば、長期的にはとんでもない災難が降りかかり、大きな損害をもたらすおそれがあるが、保守作業をしたからどれだけプラスになったのかは計算できない。大きな災難を防ぐためには<予防的保守作業>をするか、ほとんど保守の必要のない堅固な建物を設計・建設すればいいが、この方法もポピュラーではない。

諸悪の根元は水である。水は腐敗や害虫発生のもとになり、ありとあらゆる場所に浸透して、木材をたわませ、石材を侵食し、金属を錆びつかせ、結露し、退色させ、悪臭を放ち・・・・・・・、建物の構造をがたがたにして、最終的には崩壊させる元凶になる。その主たる供給源は雨水で、当然屋根がきわめて重要になる。陸屋根はかならず雨漏りするので、傾斜をつけた屋根が望ましい。最近では合成樹脂のサイディングがよく使われるが、これは湿気を閉じこめるうえ、その下の材料の損傷を隠してしまうので、被害が構造そのものに及ぶまでわからないという欠陥がある。漆喰やレンガといった伝統的な材料には何世紀にもわたる経験の裏打ちがあり、しかも、古びたときに魅力的になるという美点がある。コンクリートはほとんど奇跡に近い材料だが、あとから変更を加えるのは難しく、ひとたび老朽化すると巨大な廃棄物の山と化す。

大規模な開発計画は<置き換え>という発想をベースにするもので、完璧な建物を建てることが可能だよいう幻想の上に成り立っている。これに対して、建物の漸次的な成長という考えは<保守・修理>をベースにする発想で、これは誤りは避けられないこと、建物がほんとうに使用者に適応したものになるまでには長い時間が必要であり、一挙にそれを実現することは不可能だという考えに基づいている。この意味では、保守作業は学ぶことであり、単に現状を維持するだけでなく、よりよいものにすることにつながる。

工事中に開口部を塞ぐ前にシステマティックに配管等の写真を撮っておいたり、修理の詳細(材料のメーカーや品番から電話番号まで)の記録や改修後の現況図などを作っておけば、建物が学ぶのに大いに役立つだろうし、CADと連携した建物の現況のデータベースをコンピュータで作っておけば、単に保守作業が用意になるだけでなく、時間的変化を視野に入れた新しい設計にも資するところが大きいだろう。建物はますますブラックボックス化しており、複雑になればなるほど故障の確率が高くなるから、保守管理はますます重要になるが、保守を単にマイナスをゼロに引き戻すための作業としてではなく、建物をもっと魅力的なものに成長させていくプラスの作業として捉えるべきではないか。


9.民衆による建築--建物は相互に学びあう


民衆による建築というのは、いわゆる<アカデミックな><洗練された><最新のスタイル>の建築とは対極にある、専門の建築家が設計した物でない建物、要するに、この世界の大半の建物ということである。

こういう住宅の場合、家を建てようとする人は地元の建築業者と話し合い、共通の経験をどだいにして一緒に家を設計する。正式な図面の必要はない。紙に書いた図面が存在するのは文化的な衰弱のしるしで、それだけ互いに頭のなかで描く物にずれが出てきていることを意味する。

建築家は古い問題に新しい解答を用意しようとするが、名もない地元の建築業者は古い問題にはむかしから実証されている古い解決法を受け入れることで満足する。そうやって、何世代にもわたって、新しい建築は年月を経た古い建物のよいところを真似して建てられ、ゆっくりと進化していく。(建物は学ぶのである。)民衆による設計の核にあるのはスタイルではなく、フォーム[定形]である。スタイルは時に弄ばれるが、フォームは時から学びとる。(北欧の森林地域に紀元前から見られる細長い三角屋根の民家、ナンタケットの捕鯨の町の住宅、マレーの住宅などの例を紹介。)

最新スタイルのビルの場合には、建築家が命令をくだし、クライアントがそれを受け容れるが、ほかの大半の建物では、事はそんなふうには運ばない。クライアントはめったに革新的なものは採り入れない。彼らは主に借用するのだ。どこかで気に入ったものを見ると、あんなふうにしてほしいという。

地域的な伝統を現代に活かして魔法のような成功を収めた例に、いわゆる<サンタ・フェ・スタイル>がある。プエブロ・インディアンの伝統的な住宅にスペイン人の影響が加わり、さらにヤンキーによる技術革新が採り入れられて成立していたこの日干しレンガの住宅を、今世紀に入って町の再開発委員会が採用して広めた結果、サンタ・フェはアメリカでもっとも美しい古い町という評価を得ることに成功した。

しかし、建築家が伝統的な民家の様式を採り入れて設計するというやり方をとったため、ひとつのフォーム[定形] だったものがスタイルに変質し、本来きわめて柔軟な構造をもっていた日干しレンガの家は、初めから細部まで決定されたものになって、美しい形だけが受け継がれ、伝統的な住まいの知恵(柔軟性)は失われた。

著者はさらにアメリカで広範な人気を博した3つのタイプの住宅--ケープ・コッド住宅、バンガロー、移動住宅--の人気の秘密について考えている。この3つのタイプに共通するのは小さいことと増築の容易さだが、とりわけ、移動住宅(トレーラー)には<プロセスの美学>ともいうべきものがあり、あからさまに未完成で、間に合わせの住居にすぎないという特性がある。建築家が単にスタイルを採り入れるのではなく、こういう伝統的な民家のもつ構造的な柔軟性を採り入れた設計をするようになれば、必要なだけオリジナルであると同時に、とても親しみのもてる、気分のいい、しかも、変化を促してくれるような建物ができるのではないか。


10.機能が形を解体する--最低必要限の住居とオフィス


「これまでの伝統とは縁を切って、入居する家族の生活の基本的な必要性に基づいて住宅を設計すべきである。外観やスタイルにとらわれずに、人間の必要性を優先し、新しい技術を適切に使えば、おのずから美しい形が生まれるだろう」とモダニストは主張した。

これはなかなか魅力的な考えではあるが、彼らが犯した大きな誤りは、急速に変化していく家族の生活のある一瞬を切り取って、それを建物の構造や外装という固定的な枠のなかに閉じこめたことである。現在的な必要性をみたすことに熱心になるあまり、細かく設計しすぎて、将来の変化への柔軟性を残さなかったことである。「形は機能のあとについてくる」というのは嘘で形が機能を固定してしまったのだ。

しかし、それでも生活は変わっていくし、人々は無理矢理にでも建物を変えていく。要するに、機能が形を解体してしまうのである。

アメリカの日曜大工産業は1980年から90年までの10年間に約3倍にふくれあがり、ルーターのハンドブックが70万部のベストセラーになり、リフォームも素人が行うものが専門業者によるものを凌ぐようになった。

生活の変化とともに住宅はどんどん変わっていく。ポーチは徐々に部屋に変貌し、裏庭にはデッキが出現し、地下室や屋根裏部屋がなくなった代わりに、車の入っていないガレージが広くなっている。車は道路に置かれ、ガレージは増え続ける物の収納場所になっているのである。かつての屋根裏部屋や地下室のように、使い道のはっきりしないスペースがもっと必要なのではないだろうか。

使用者による建物の変更は<スタイル>ではなく<快適さ>(便利さ)によって決定され、見てくれはどうであれ、ともかく当面の必要を満たす最小限の変更というかたちをとる。

人は学んで、やがてそれを習慣にする。習慣になれば効率的になるが、学習している間は混乱が続き無駄が多い。習慣を形成しないような学習は時間の無駄である。
人が学ぶという行為には3つのレベルがある。(1)基本的な習慣は変えずに、ディテールを微調整して、洗練していくレベル、(2)既存の習慣の微調整では間に合わなくなり、習慣そのものを変えることになるレベル、(3)習慣の変え方そのものを変えるレベル。

建物におけるこの第3のレベルの学習を研究するのにうってつけなのが、オフィスである。60年代から急速に拡がった<オープン・オフィス>。建築家の仕事のかなりの部分を肩代わりするようになったオフィス家具。1973年の石油危機に端を発するエネルギーと環境問題。情報革命によるオフィス環境の流動化とインテリジェント・ビルの失敗。80年代に北欧で起こった、オープン・オフィスへの労働者の反発。もっとも成功している例の一つが、小さな個室が共有スペースを取り囲む<穴ぐらと共有空間>ともいうべきかたちで、カリフォルニア大学バークレー校の数理学研究所(MSRI)がその好例である。オフィス住宅は相互に浸透しあっている。


11.シナリオ・プランニングに基づく建築


すべての建築は予測に基づく。あらゆる予測は誤りを犯す。したがって、すべての建築は誤りを犯す。残念ながら、この三段論法から逃れる術はないだろう。しかし、誤りを許容できるように設計することは可能である。

シナリオ・プランニングというのがその手法で、これはまず軍事用に、のちには企業の戦略策定に用いられてきた考え方である。

シナリオ・プランニングでは、まず組織やプロジェクトの主要人物に面接して、大多数の人が予想する将来像をあきらかにする。次いで、方針決定権をもつ人々を集めて、二日間のミーティングを行う。第一日目には、まず焦点となっている問題をあきらかにし、それから、将来の環境を決定する。<推進力>となる要素を分析して、重要性と不確実性でランク付けし、もっとも重要で不確実なものを最上位に置く。(同時にあらかじめ確定している要素もあきらかにしておく。)

次に、重要な不確実性を検討して、いくつかのシナリオ・ロジック(基本的な筋書き)を決定するのだが、ポイントはもっともらしいシナリオと驚くような--ショッキングな--シナリオの両方を策定するところにある。たとえば、まずだれもが当然予想するような<公認の将来像>を考えておいて、そのあと、とても考えられない、恐ろしい、とんでもない事態を想像するとよいだろう。(しばらくすると、この後者がもっともらしいシナリオになってしまうのはよくあることである。)

それから、グループは焦点となっている問題に戻って、すべてのシナリオに対処できる戦略を練り上げる。(ひとつのシナリオならうまくいくが、ほかの全てのシナリオでは失敗するようなものは避けなければならない。)新しい戦略が提起されると、それぞれのシナリオの進み方に変化が出てくるから、グループは何度か一連のシナリオと戦略を擦り会わせて、筋の通った物にする必要がある。そして、最後に、どのシナリオが実際に起こっているか知るために監視すべき指標をいくつか定めておく。それから、グループの構成員はそれぞれ自分の部署に戻って、関係者全員にその戦略とシナリオを説明し、その総合的な戦略に基づく個々の対策を策定する。

著者は、この手法を実際にサンフランシスコのコロッサル・ピクチャー社の社屋新築計画に適用した例を説明している。

建築に戦略的アプローチを用いると、設計上多くの決定事項を建物の使用者に委ねることになることがある。建築業者が一度に全ての問題を解決しようとせずに、初めは最小限のプランを実施し、必要に応じて漸次的に追加工事をするというかたちで、クライアントと長期的な関係を保っていくという方法も可能である。<進化する設計>というのは矛盾に聞こえるかもしれないが、いまや単に空間だけでなく、時間を視野に入れた設計を目指すべきなのだ。


12.変化に対応できる建築


時間による変化に適応できる建物はどこが違うのだろう?

外見上は、大した違いはないだろう。設計にシナリオ・プランニングを用いれば、当然ながら、初めはごく保守的なものになるだろうし、その地域の伝統的な建築のアイディアを借りれば、それも当然保守的に見える--そういうものは見馴れた、長い間試されてきた、その土地の気候や文化の染み込んだ、標準的なものだからである。古びるとよくなる伝統的な材料はきれいだが、ありきたりに見えるだろう。

学ぶ建物の大きな違いはその予算配分にある。基本的な構造にふつうより多くの費用がかけられ、仕上げのコストは節約され、絶え間ない調整や保守管理に多くの費用が割かれるだろう。

長期的なローンを組んで建設すると、最終的に支払われる金額の60%は金利の支払いにあてられることになる。それよりも、ふつう頭金にするお金で、将来の核になる小さな建物を建て、その後金利を払い続けるかわりに、少しずつ建物を改良・成長させていくという方法もある。

機能性やスタイルに最新の流行を採り入れるのはやめたほうがいい。すぐに古くなって、応用がきかなくなるのが目に見えているからである。新しい技術を中心に据えて設計するのも控えるべきだろう。技術に建物を適応させるのではなく、建物に技術を適応させるべきなのだ。

家の形は直方体にすべきである。あとから空間を仕切るにしても、スペースをつけ加えるにしても、これほど便利な形はないからである。

フロアのレイアウトは建物の柔軟性にとってきわめて重要な要素になるが、これについてはこれまであまり研究されていない。著者の知る限り、唯一のすぐれた研究は、今世紀初めに建てられたサンフランシスコの一連のビクトリア風住宅に関するアン・V・ムードンのものである。この研究では、「住宅設計のモジュールとしては部屋に立ち戻ることが、弾力的なスペースをつくりだすために必要なステップだろう」と彼女は結論している。住居をモジュールとして設計すると、各々の部屋の機能がはっきり限定されてしまい、住人が入れ替わったとき、新しい必要に適応するのがむずかしくなるからである。

成長し、成熟するためには、建物は長寿である必要があり、そのためには強靱な構造が不可欠である。最近では木材の軸組み構造が復活しているが、これは奨励すべきである。屋根はもちろん傾斜したほうがよく、できるだけ軒が深い方が壁を風雨や太陽から保護できる。壁は構造とは独立しているほうが保守管理が容易である。

マーサズ・ヴィニヤードの設計・建築業者ジョン・エイブラムズは、壁や天井の開口部を塞ぐ前にすべて写真を撮り、図面と組み合わせてバインダーに綴じ込み、一冊の本を作る。電気の配線や内装を担当する下請け業者たちはこの本を参照し、竣工時には、エイブラムスはこの本を恭しく施主に贈呈する。彼は基礎工事や配管工事などについても同じ事をすることを推奨している。建物が古くなればなるほど、この本は貴重なものになる。

どんな建物にも、それが長年生き延びて魅力的なものになっていくためには、注意深く厳密に仕上げなければならない部分があるが、建物全体を隈無く完璧に仕上げる必要はない。むしろ、仕上げなしの部分を残しておくべきである。

新車にならし運転の期間が必要なように、新しい家にも1年くらいはさまざまな小さな欠陥を再調整する期間が必要である。ジョン・エイブラムスはこういうささいな欠陥のために施主との関係が悪化するという現実を苦慮していたが、あるとき調整、修理、保守管理専門の何でも屋を雇って、そういうトラブル専門に迅速に対応できるようにした。その結果、施主との関係が完全に変わり、彼らはリフォームや増築などの際もエイブラムスの会社に頼むようになった。いまでは、そういう仕事がかなり大きな比重を占めるようになっている。

こういう初期の小さな欠陥を通して、建物は学び、使用者たちも学び、長期的にはすばらしい建物へと成熟していく。建物は内側の人々との物理的結びつきを通して学んでいくのである。ヨーロッパの中世の寺院では、足場がすっかり取り払われることはなかった。なぜなら、それは建物が完成して完全な物になったことを意味し、それは神への冒涜にほかならないと考えられていたからである。



以上ざっと要約してみたが、これは本書を構成する骨格の標本みたいなものにすぎず、本書の魅力はじつはその肉付けの部分--ほとんど全ページに挿入されている写真や図版とその解説--にある。単なる抽象的な建築論ではなく、著者がアメリカを中心に世界各地を駆け回って、実際に建物を見たり、使用者の話を聞いたりした、具体的なデータの部分がかなりの比重を占めており、これがあるからこそ著者の主張に説得力が出てくるし、そこの部分がじつに面白いのである。(村松 潔)

Posted by @ June 1, 2003 06:04 PM
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