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地図でみる世田谷

Event

IMG_7508.jpg11月15日、京王線下高井戸駅から東急世田谷線に乗って上町、世田谷区立郷土資料館に出かけた。

開催中の展覧会「地図でみる世田谷」を見るためにやってきたのだ。

これが面白いのだ。

江戸近郊の農村地帯・世田谷が、どのようにして発展してきたのを、地図だけで見せていくという企画だ。

私が驚いたのは、明治大正からの軍事施設の進出……、おっと、あそこも元は兵営か……。

面白い上に、図録の充実に驚く。全編カラー印刷で、A4判224頁……、図録のPDF版を収納したDVD付きで、販売価格1,000-円(税込)なのだ。

それに、昭和12年「大日本職業別明細図 世田谷」なる復刻版地図まで付いてくるのだ。

12月3日まで、善は急げ。

 江戸時代の世田谷地域は純然たる農村地帯であり、丘陵地帯には雑木林と畑地が広がっていました。畑地では雑穀や蔬菜類が栽培され、江戸に住む人々に供給されてきました。蔬菜類の栽培には大量の肥料が必要なため、農家は江戸市中の市場へ野菜を運び、その帰りには肥料となる下肥を持ち帰ったのです。この関係は明治に入っても変わらず、世田谷地域は都市近郊農村の姿を留めていました。
 近代国家が成立し政治・経済が東京に一極集中すると、東京の膨張が始まります。この膨張は郊外へ広がり、世田谷地域も都市化の波に飲み込まれることになります。明治中期以降、市中にあって手狭になった軍事施設や学校が広い敷地を求めて移転してきました。そして、関東大震災や鉄道の敷設・第二次世界大戦を契機として、人々が郊外へ移り住むようになったのです。人口が増えると蔬菜類の需要も増えることになりましたが、次第に世田谷地域は宅地造成のために農地が減少しました。そして、蔬菜類の供給はさらに郊外へと移ることになり、世田谷地域は農村から住宅地へと変貌していきました。
 本展覧会は、このような時代変遷を、明治から昭和20年代までの地図によって捉え直そうとする企画です。

Posted by 秋山東一 @ November 16, 2017 11:30 PM | TrackBack (0)
Comments

Tosi さん、はじめまして、コメントありがとうございます。
今回、初の郷土資料館訪問だったのですが、展覧会に夢中になっていて、その入れ物である建築を忘れておりました。
前川國男の設計によるもの……、コメントされた記述、納得です。裏側から入れなくて不親切な……と思ったり、本館の二階にあがる階段の手すりに古さを感じたりしていましたが、もう一度行って見ようと思っています。

Posted by: 秋山東一 @ November 18, 2017 04:36 PM

郷土資料館本館はPC造や建築工業化といった技術的な面で評価されることが多いですが、非常に小さな建物にもかかわらず、企画展が開催される増設された新館への連絡通路も含めて、どこか国立西洋美術館を連想させる雰囲気をもつ魅力的な建物です。鎌倉近美と同様に厳密には「無限成長美術館」といえなくとも、建築的プロムナードというコンセプトに基づく美術館・博物館の最小例とはいえるのかもしれません。

Posted by: Tosi @ November 17, 2017 07:54 PM
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