奥村まこと・逝去 | [ etc. ] |
+ 写真は2014年4月13日、成田空港近くで、吉村純三の三里塚教会に行った時のものだ。
享年85歳3ヶ月とのこと……、私と同じ午年、一回り上なのだ。
私の今は、まことさんの存在なくして考えられない。
ざっと30年前……、1987年のOMソーラー草創の際、最初のオーエム研究所メンバーに選ばれたのは、まことさんの一言「秋山入れると面白いよ」だったと小池一三さんに聞いた。
それは十分に有効であったと思う。私はフォルクスハウスを生み出し物議をかもしたが、OMソーラーの世界を大いに拡げ……、それは今もって発展し続けているのだ。
まことさん、ありがとうございました。安らかにお眠りください。
奥村まことの自宅、中村橋の奥村事務所に常駐しているOMソーラーの中村正吾氏より、まことさんの病状について、もう永くはない……と聞いていた。
今週は北海道苫小牧の小松建設と小金澤組のコラボによる K's style のオープニングに参加、その出張から帰ったら……14日日曜日には中村橋に伺うと答えていたのだ。
その北海道行きが大いにトラブル、10日の夕方のフライトは新千歳空港が雪で大荒れ、着陸できずに羽田に戻ってしまったのだ。結局、真夜中に帰宅ということになったしまった。
翌11日朝早くに羽田、昨日もらった振替え航空券よりも早い便に換えてもらったが、もっと早く行けないかと空席待ちでゲートを動き回るが空席なしが続く……、まぁ、羽田に戻った便だけで400人からの乗客が今日のフライトで北海道に飛ぼうとしているのだから当然か。
午前中の便で空席で乗れたのが17人……、私の空席待ち番号が66番では無理なのが分かった。もう、夕方というか夜の便、今手元にある航空券で行くことに決定……した。
そうなれば、昼飯をと思い羽田空港の外に出ることにする。浜松町で食事中に築出恭伸氏より電話、昨日中村橋に見舞ったが……、かんばしくないという事だ。
そうだ、夕方のフライトまでの時間、中村橋にまことを見舞う……と決めたのだ。中村橋に見舞いに行ったのは昨年の9月28日……、4ヶ月前か……。
即、浜松町から東京、中野、阿佐谷そしてバスで中村橋、自宅にまことを見舞う。少し息がくるしそうであったが、「秋山です」とご挨拶をするのが精いっぱい……。
小池一三氏、吉田亜人氏、武山倫氏、野沢富士子氏その他女性陣がおられた。
ほどなく、ベッド横でまことを見守っていた奥村まきさんの「呼吸していない……」の声で、ご臨終がきてしまったことを知る。
すぐに主治医に電話し、2,30分後に駆けつけられるとのこと……午後3時前のことであった。
結局、私はまこと生前に会うことができた最後の人ということになってしまった。