ある明治人の記録 | [ BOOKS ] |
灘校生のインタビューに答えたという形のものだが、震災から始り、原発、グローバル経済、戊辰戦争……と縦横無尽に東北が語られる。大いになるほどなのだ。
そこに、こんなくだりがある。
……
―原発の話にもどるんですが、原発って、東京で消費する電力を、福島で作ってたわけですよね。東京の犠牲になっていたわけですよね。なんでそういうシステムが生まれてしまうのでしょう。
戊辰戦争ですよ!決まってるじゃないですか。戊辰戦争で、奥羽越列藩同盟が賊軍になって、それからあと150年間、中央政府によって有形無形の差別を受けてきたからですよ。東北の出身者は中央に上がっていけなかったんですよ。政界でも官界でも財界でも・・・。
……
―それは今の官僚であるとか政治家とかも、意識して政治を行ってるのですか。
いや、意識はしてないでしょう。むしろ無意識だからこそ、こんなひどいことができる。150年間、ずっと無意識なまま東北は抑圧されてきた。君たちも東北人の証言には耳を傾けるべきだと思う。ぜひ読んでおいて欲しい本がある。『ある明治人の記録』。旧会津藩士ではじめて陸軍大将に昇進した柴五郎の伝記。会津が明治政府にどんな目に遭わされたか、わかるよ。
……
血涙の辞
故郷の山河
悲劇の発端
憤激の城下
散華の布陣
狂炎の海
絶望の雨夜
幕政最後の日
殉難の一族郎党
捕虜収容所へ
学僕・下男・馬丁
地獄への道
餓死との戦い
荒野の曙光
海外か東京か
新旧混在の東京
わが生涯最良の日
国軍草創の時代
会津雪辱の日
維新の動揺終る
第二部 柴五郎翁とその時代
遺書との出会い
流涕の回顧
翁の中国観
会津人の気質
痛恨の永眠
柴五郎氏略歴
この会津人・柴五郎なる人物が、義和団事件の北京籠城「北京の55日」の指揮官であった日本軍人とは知らなかった。彼は最終的に日本帝国陸軍の大将に上りつめ、1945年の太平洋戦争敗戦後、87歳で自決を図るが果たせず、その三ヶ月後死去する。
戊辰戦争、新政府軍の会津への侵攻時、柴五郎は10歳であった。会津陥落時、城下の祖母・母・兄嫁・姉妹が自刃する。その後の会津藩は、陸奥国斗南(現・青森県むつ市)に移住し、餓死寸前の窮乏に陥る。
その後、青森県庁の給仕、東京流浪なる辛酸……、1873(明治6)年、陸軍幼年学校、1877(明治10)年、陸軍士官学校、西南戦争終結し「維新の動揺終る」で、少年時代の回顧を終えるのだ。
内田樹の「原発があるのは戊辰戦争のときの賊軍側の藩ばかり、という話……」からエントリーしたものがあった。
● aki's STOCKTAKING: 原発のある場所