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上野・東京帝室博物館

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1940 (昭和15) 年頃の上野の帝室博物館、現在の東京国立博物館本館だ。

1930 (昭和5) 年に行われた設計競技で、渡辺仁が一等入選し、その基本設計を基に、宮内省の実施設計によって1937(昭和12)年に竣工した。

 ● 東京国立博物館本館/旧東京帝室博物館

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そこにいるのは私の母になる人である。

結婚前、婚約者である秋山喜世志氏に会いに水戸から出かけてきたものと思われる。
上野駅に出迎えにでた秋山氏と彼女は上野公園の帝室博物館に出かけ、この写真を撮ったものと思われる。

ちなみに彼女の名前は上野文子であった。……特に関係ないけど。

Posted by 秋山東一 @ February 11, 2012 12:04 PM
Comments

alpshima さん、どうもです。
母20歳、父30歳ってところですが、FRONTっぽいのはご時世ではないでしょうか。

Posted by: 秋山東一 @ February 14, 2012 04:12 PM

いい写真ですね。たしかにFRONTらしい雰囲気ですが、お母さまの堂々たる姿に釣り合ってますね。

Posted by: alpshima @ February 14, 2012 10:24 AM

misumikei さん、どうもです。
私にとって何時いったか覚えていない博物館ですが、トーハクなるケーハクな名称を宣伝する場所になっていますですね。
そのような格調高い場所でもあったのですね。

Posted by: 秋山東一 @ February 12, 2012 01:23 PM

kawa さん、どうもです。
博物館に何時いったという記憶もなく、何か縁遠く感じていたのですが、こんな写真が出てきてエントリーしてしまいました。
写真も何か国際構成主義風ですが、フロントと同じく時代がそうさせるのでありましょう。
父(……になる人)は29, 30歳ですから、かっこいい事には敏感に反応していたと思います。しかし、小さなカメラで頑張っている写真ですね。

Posted by: 秋山東一 @ February 12, 2012 01:18 PM

正面左側の広場で冬の夜催された薪能のことを思い出しました。ボストンかスミソニアン博物館から無償修復のため里帰りしていた絵画、漆器の修復がなり、戻すまえに記念展示会が開かれたのです。その蓋明け公演の能だったと記憶しています。その日は 寒く 風の強い晩で かがり火が消えはしないかとコートの襟を立てて心配したことを覚えています。

Posted by: misumikei @ February 12, 2012 08:38 AM

この建物が嫌いでした。平成館とかいう建物が許せないなどと思い始めたらそんなに嫌でもなくなりました。好き嫌いって相対的なものだったんですね。立派なお写真ですね。実物より格好が良く見えます。フロントに通じる物を感じました。時代ですかね。

Posted by: kawa @ February 12, 2012 02:09 AM

この建物の尊大さを見ると、何かナチス・ドイツのシュペーア何たらの建築へのコンプレックスを感じますですね。

Posted by: 秋山東一 @ February 12, 2012 12:07 AM