街場のメディア論 | [ BOOKS ] |
まずは本書の作り方が変わっている。氏が教職にある神戸女学院大学での大学2年生対象の講座「メディアと知」の講義一つ一つのライブ録音を編集者が文章化し、それを著者が加筆訂正して一冊の本に仕立て上げたものだそうだ。……最近の新書判の大量生産は、その作り方まで進化しているようだ。
まずは「キャリア教育」から話は始まる。それは、この講座がキャリア教育プログラムの一環であることを示しながら、メディア界にキャリアを求める学生達を軽くいなしてしまうところから始まる。
「……自分が果たすべき仕事を見いだすというのは本質的に受動的経験なんです。……」
第一講 キャリアは他人のためのもの
第二講 マスメディアの嘘と演技
第三講 メディアと「クレイマー」
第四講 「正義」の暴走
第五講 メディアと「変えないほうがよいもの」
第六講 読者はどこにいるのか
第七講 贈与経済と読書
第八講 わけのわからない未来へ
あとがき
第六講「読者はどこにいるのか」という出版の問題に入る。そこではマスメディアの陥っている数の減少に対して「本を読みたい人」は減ってはいない……ところから論考を始める。電子書籍の問題から著作権の問題、そして書棚の問題……、書棚というハードウェアに本の意味が隠されている……、そのユニークな視点から本というものの真実を見いだしていく。
我々と本の関係は、ついに第七講「贈与経済と読書」によって人類学的に解釈される。それは社会制度の起源である「ありがとう」に行き着いてしまうという。その「知」こそ「ありがとう」の対象である……それは決して商取引モデルではなく、原初の人類学的な関係であることに結論づけられる。
その「贈り物」について、彼はブリコラージュであると言う。それが自分自身にとっての「贈り物」を感じる人間こそが生き残れる……と著者はいう。そして、Sauve qui peut ……と読者を「わけのわからない未来へ」と突き放すのだ。
Posted by 秋山東一 @ November 11, 2010 03:41 AMそらさん、どうもです。
私にとって初めての内田樹、週刊誌の書評欄で取り上げられているのを見ての読書です。
よく聞く皮相なメディア論とは異なり、人類学者レヴィ・ストロースのブリコルールにまで言及されるという、その深さ、広さ……面白く読みました。
「街場のメディア論」、夫が読んでいました。何がきっかけか…内田樹さんに興味を覚えたらしく、内田さんの著書を図書館に予約したり、買ってきたりしております。