15歳の東京大空襲 | [ BOOKS ] |
著者、半藤一利の名前を確認してレジに向かった。
本ブログでも何度か取り上げている昭和史の半藤氏の自伝ともいうべき、彼の少年時代の話だ。氏は今まで、1945年3月10日の自身の東京大空襲の体験を語ることはなかったが、初めて九死に一生を得た……その体験を語ったのだ。氏は1930年生れ、今年80歳にあらせられるのだ。
それは半藤氏が15歳の時、旧制府立7中(現都立隅田川高校)の二年生、もう学校で学ぶことも許されず、軍需工場での工員のような生活であったのだ。その日の夜、向島の自宅で、空襲警報とともに始まったB29の爆撃に逃げ惑うことになるのだ。その日、1,670トンの焼夷弾によって死者は10万人を超えることとなったのだ。
現代の講談師の面目躍如……大迫力でその日の体験が語れていくのだ。本書は青少年向けの新書であるのだが、戦争に遅れてきた多くの大人達も読むべきであろう。
あとがき
参考にした本など
本書の半藤氏の視点はあくまでも15歳のものだ。勤労動員された軍需工場での女学生との淡い恋愛、空襲でばれた父の浮気の顛末……すこぶる人間的である。
本書をゲットするに至った、本の装丁はクラフト・エヴィング商會の手になるものであった。「「ちくまプリマー新書」100点を記念して」なる展覧会が紀伊国屋書店で開かれたようである。
Posted by 秋山東一 @ June 14, 2010 12:02 AMFumanchu 先生、どうもです。
1945年6月18日は浜松大空襲の日ですね。終戦間際の8月2日は八王子空襲の日、その日は川崎、長岡、水戸、富山も空襲されています。
その時、父は満映に出向しており、八王子の家には母と私と妹の三人しかいませんでした。私は三才弱、妹はまだ乳飲み子で、母は妹を背負い私の手を引き、上空のB29が攻撃中の甲州街道を日野方向の山の方に逃げました。
その時、通り過ぎた小屋の扉、トタン板のたくさんの穴から、後の家が燃える光がもれ、それが満艦飾の軍艦に見えたのが、私の一番最初の記憶です。
Posted by: 秋山東一 @ June 14, 2010 08:00 PM「国都建設」の頃の古山家です。ご参照ください。
http://www.tcp-ip.or.jp/~ask/rjx/rojix18/rojix182.htm
浜松ではその日、6月18日が巡ってきます。家族には被災したものはありませんが、当日姉の一人は動員先の日楽の木工場へ行く途中「道端のどぶに半分裸の人が沢山顔を水に付けて死んでいた。」そうです。
彼女は小学校の通学路で、山東からの出稼ぎ人が、綿入れのままで固まっているのを、見ながら登校していた満州生まれなので、死んだ人を見るのは別に特別なことではなかった。と言っております。
Posted by: Fumanchu @ June 14, 2010 05:32 PM