100512

あるべきようは

Architecture , Event

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昨日夕、地下鉄千代田線根津から藝大に向かった。藝大美術館・陳列館での「天野太郎の建築展」の初日、展示を見るのと、その後のオープニングパーティに参加するためだ。

ひさしぶりに、多くの先輩、仲間達に会うことができ、その後の根津「車屋」での宴会も大いに愉快であったのだ。


いただいた図録の最後に「あるべきようは」が語られている。

天野太郎と「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)」

 「阿留辺幾夜宇和」は、天野太郎が好んだ言葉である。栂ノ尾高野山を開山した鎌倉時代の僧、明恵上人(1173〜1232)のこの言葉は、日常のこまやかな規律から生活全般に亘る実践的な思想を表すといわれる。天野は早稲田大学時代に歌人會津八一の「東洋美術史」の講義に熱中し、會津八一門下となり、1953年にタリアセンから日本に戻るために新潟に入港したときは、すぐさま會津邸を訪ねて話し込んだほど會津を慕っていた。會津との交流を通して、天野は和歌や仏教を含む美学全般に親しんだ。
 天野が明恵に関心をいだいたのは、高僧としての明恵ではなく、『明恵上人和歌集』を詠んだ歌人としての明恵であったかもしれない。しかし、「阿留辺幾夜宇和」というものの本質を日々追求する精神は、天野の建築に対する精神そのものといえるだろう。
 1960年代の終わり頃、東京藝術大学建築科の古美術研究旅行に参加した学生の一人は、天野が「あるべきようは」と語るのを聞き、その後ずっとこの言葉の意味を考え続けた。彼だけでなく、天野から学んだ者は誰もが、日常生活への細やかな温かいまなざしをもって、空間の本質を追求した天野に、この言葉を重ねることができる。
 そして、本来の仏教的な意味とは関係なく、私たちはこの言葉をそれぞれに解釈する。建築家は建築家のあるべきよう。壁は壁のあるべきよう。窓は窓のあるべきよう。・・・私は私のあるべきよう。
 天野が私たちに投げかけた問いは、私たちから次の時代へと引き継がれるだろう。

「天野太郎の建築展」実行委員会

Posted by 秋山東一 @ May 12, 2010 12:23 PM
Comments

今井さん、どうもです。
私は天野太郎に訓育を受けたものですが、この言葉を初めて知りました。「あるべきようは」の問いかけはとても大事なことと思いました、

Posted by: 秋山東一 @ May 12, 2010 07:59 PM

うんと考えさせられました。

今は、社会の「あるべきよう」がぶれてしまっていることが多いように思います。

温かいまなざし。これですね。

Posted by: 今井孝昌 @ May 12, 2010 06:11 PM