藤田嗣治 手しごとの家 | [ BOOKS , Bricoleur ] |
本書は最近の藤田研究の成果というべき、画家としての部分以外のフジタが明らかにされるのだ。それは bricoleur ブリコルール、Bricolage ブリコラージュする人たるフジタなのだ。
彼は住むことにこだわる、どこにどんな風に住むのか……、彼は模型を作る、ドールハウスのように家具調度を備えた家の模型、それをいつも手元に置いているのだ。そして、その思いそのものの家を得、住む。
彼は作る。着るものも、自分の絵の額縁も、家具に彫刻し、陶器に絵付けし、木の箱を作る。
そして、たくさんの好きな物、布から人形まで収集し、写真をものし、物書きでもあったのだ。
第一部:住まう
第一章|住まい=アトリエ
第二章|インテリア
第二部:手づくりする
第三章|裁縫
第四章|大工仕事
第五章|絵付け
第三部:集める
第六章|フランスでの収集―パリの蚤の市
第七章|旅の思い出―中南米と東アジア
第四部:写す・写される
第八章|被写体として
第九章アマチュア写真家として
第五部:書く
第十章|日記と絵手紙
おわりに
藤田嗣治略年譜
参考文献
仏語ブリコラージュを日本語では「器用仕事」というそうだが、まさしく、藤田誥治の有様は「器用仕事」という語感をそのものように思えるのだ。
この本について誰も何も言わない……なぁ、と思いながら、忘れていた。
そしたら、やっとこさ、kadoorie-ave こと小野寺光子さんが ONE DAY にお書きになったのだ。
● ONE DAY : 好きな本 「藤田嗣治 手しごとの家」「The Selby is in your place」
kadoorie-ave さん、どうもです。
私の中で、kadoorie-ave さんって藤田嗣治と同じく、ブリコルールなんだ……とずっと思っているのです。ブログに現われるご自身がお作りになるものたち、食べられない物も、食べられる物も……ブリコルールの仕業と思うのです。
トラックバックありがとうございました。
この本が出たときはうれしくて、カフェ杏奴に持っていって、「詳しいことはブログに書きますね」と言ったのに、こんなに遅くなってしまいました。小さい頃母の美術雑誌で見た、藤田嗣治のアトリエの写真。服装。その後展覧会で見た、手紙や身の回りのもので「ほんとうの意味でのお洒落さんとは、こういう人のことだ」と思っていました。
本の帯に「新しいフジタに会える!」と書かれていましたが、私には「これでやっと、本当のフジタに会えた!」なのでした。もっと詳しい、続きを見たいくらいです。
ケンさん、はじめまして……かな。どうもです。
私にとっても、ブリコラージュは重要な概念と考えています。このブログの一つのカテゴリーになっている’くらいですから。
お教えいただいた大竹伸朗のお話、なるほどと思いながら読みました。
私は作るという作業が、メカノやレゴにおいて、壊しながら作る、作りながら壊す……という二つの作業を同時に進行させながら、何者かを作り出していく過程に、「美」というのか「真」が形成されるのではないかと考えています。
ブリコラージュは私の中でもキーワードの一つとなっております。「野生の思考」は本棚においてありますが未読です。
画家、大竹伸朗のエッセイ集「見えない音、聴こえない絵」を読んでおりますと以下のような文章がありました。
『手作業による試行錯誤のプロセスが結果的に行き着いてしまった予期せぬ形、そこをスタート地点として目的遂行に向け実際にデータ・ゼロ状態で稼動し始めた後、そこに肉眼では判別不可能なレヴェルにおいてなんらかの出来事が事故のように加わった瞬間、そこには「美」というものが立ち現れるのではないだろうか』
『「こういうもの」を作りたいと思い「そういうもの」が出来た時ほどつまらない瞬間はない』
ブリコラージュというのは、過去と未来との間のアクチュアルな瞬間瞬間のテンションにかけていく感じがあるように思います。