GoogleMap /streetview 再考 | [ Internet/Web ] |
GoogleMap streetview グーグルマップのストリートビューを一通り一巡した後で、なんとなく居心地の悪い感じ.......がするのはなんだろうかと考えていた。それは、自分の家が覗かれていることへの不安........というよりも、人の家、ひとの生活を覗いているという自分自身への.......負い目というようなものだ。
そんな気分に、きちんとした答えで主張する方がいるのをスラッシュドット・ジャパンの記事で知った。
● スラッシュドット・ジャパン | Googleストリートビューへの日本の反応が海外でも話題に
● Google の中の人への手紙 [日本のストリートビューが気持ち悪いと思うワケ] - higuchi.com blog
● Global Voices Online » Japan: Letter to Google about Street View
「なんとなく居心地の悪い感じ....」は「公共空間と私的空間の境界のあいまいさ」、「公共空間への私的空間の進出」等の日本の近代都市が抱えるそうした問題をストリートビューは露骨なまでに反映していることにもあるかも...
まぁ、電車の中で化粧する女とか、矢鱈と薄着のオバサンとか、物干し竿の下着とか、そうした見たくもないモノを見てしまったときの不快感にも通じるような...気がします。
Posted by: JED-iPhone-02 @ August 14, 2008 04:24 PMkawa さん、どうもです。
まだ、そんな使い方をしたことはありませんが、やってみたいと思います。iPhone なら走行中に(助手席で.......)できるかな、それに路地の奥にはいきませんから........問題なしでありましょう。
Shigeo Honda さん、どうもです。
国家権力.......デモクラシー........おっしゃられることは十分分かります。私の「なんとなく居心地の悪い感じ.......が..........」から始まった話ですが、情緒的..........な話としているわけではありません。このGoogleの試みを否定するつもりはありませんが、余りにも機械的ではないでしょうか。その有り様、その設計がよくできていないのです。
グローバリズムもデモクラシーも見直されようとしているのが現代ではないかと思います。技術における倫理........そんな問題点であるような気がします。
カーナビやGPS付き携帯をお持ちの方には、あまり恩恵を感じられないのかも知れません。
どちらも持たない私には、ツーリングやドライブの度に地図の予習が欠かせません。
曲がり角や立体交差と側道の関係など、地図では分からない景色が事前に予習出来るのは、革命的な進歩に思えます。
お盆の御墓参りをして来ました。曲がり角が分かりにくく今まで敬遠していたルートも、事前のストリートビューの御陰でスーイスイでした。
論点のレベルが違いますね。ごめんなさい。
たびたびおじゃましてすみません。もう少しだけ書かせてください。
ここでの議論が噛み合ないのは情緒的な意識論なのか、情報論なのかの違いではないかと思います。確かに「Kai-Wai散歩」は単なる画像ではなくクリエイティブな作品です。しかし、Googleのようにピンポイントで場所と画像が一致していなくても、WEB空間で「Kai-Wai散歩」の写真を文書みればそれがどこかは、地域の知っている人には分かるわけで、オープンなWEB空間に存在する「ある場所」の情報という意味では等価だと思うのです。
僕はこのストリートビューが投げかけているのは大げさにいうとデモクラシーの問題でもあるととらえています。
昔地図は国家機密であり、一般の人が簡単に使えるものではありませんでした。それが時代を経て地図はビジネスの道具なり販売され今ではほとんどの地図はネット上で無料で使えるようになりました。
衛星写真も以前は軍事機密であり、もし民間で利用するにも高価な使用料を払わなければなりませんでした。しかし衛星写真は、国家の秘密を民間人があばくための道具して使われました。旧ソ連が隠蔽しようとしたチェルノブイリの原発事故を最初にあばいたのは衛星写真を使ったアーティストのドイツ人でした。つまり衛星写真は透明性のある社会に貢献したわけです。その衛星写真も今や誰もが無料で利用できるわけで、言い換えれば地図や衛星写真は"Rest Of Us"のものになったのです。
そして、今回のストリートビューです。技術的にはこうしたものは早晩誕生するのは明らかでした。以前のようにもしストリートビューの技術やデータが特定の国家権力や諜報機関が独占的に使用するものだったらどうでしょうか? 僕らの知らないところで身近な通りや街並の情報を一部の人たちに独占的に利用されるだけだとしたら..。
だからストリートビューのような情報を一民間企業がオープンなものにしてしまっとことには大きな意義があると考えるのです。プライバシーに関しての懸念が取り上げていることは十分理解できますが、僕らが今生きているのはそうした「透明な社会(Transparent Society)」なのであって、それを前提にどうしていくのか、という議論がもとめられているだと思います。
アプさん、どうもです。
まぁ。これを深めれば........日本風景論というような話になるんでしょうか。この Google のやった事って、無邪気なグローバリズムというようなものではないかと感じています。
Shigeo Honda さん、どうもです。
まずは、私も同じようなカテゴリー「BARRACK finder」なるものを持っていますが、「Kai-Wai散策」のようなブログのエントリーと、Googleマップ・ストリートビューとを比較するのは間違っていると思います。それは一つのクリティークとしてのフィルターを通した風景と、風景の生データを比較してはいけません。その上、「Kai-Wai散策」ではその場所を特定する情報をなるべく出さないようにも留意しています。
この問題は、日本的な都市環境における私的な部分と公的な部分の近さ、その境界の曖昧さによるものだと思います。私たちの日常でも用のないのに人様の生活環境、生活道路というべき路地なぞには入ったりはしないものです。Googleマップ・ストリートビューが見せてくれる「風景」は、私達には「誰にでも公開されているパブリックな風景」とは言えないものを含んでいるのではないかと思っています。
この問題には、人によって様々な意見のあるところだと思いますが、樋口理氏のブログ記事はしごく妥当な発言と感じています。
Posted by: 秋山東一 @ August 11, 2008 02:48 PMいろんな所でいろんな議論がされていますので、あれですが。。。
素晴らしい技術とサービスなんですが、使う人間の側に悪意がある場合は、素直にその素晴らしさを感受することはできない・・・。
今回のSVはその端的な例のような気がします。
PS
本来それよりも、もっと気にしていいメール盗聴?の実体。。とはいえ、これもみんな当たり前のように無防備な平文だもんなぁ。。
PS
STCar。国内は、プリウス(TOYOTA)のようですね。当初、サービス対象、名古屋が外れたのは無関係かな!?(笑
こうしたGoogleストリートビューに対しての日本の反応は、あまりに島国根性臭い気がします。つまり、通りの風景やそこから見渡した風景というのは、誰にでも公開されているパブリックな風景にしか過ぎないわけで、それにいかにもな「日本的な価値観」を持ち込むのは時代錯誤ではないでしょうか?
それを言い出したら、知らない人の古い家を正面から撮影している「Kai-Wai散歩」のような作品は言語道断ということになります。
誰もが携帯やデジカメで他社の風景を撮影し、自分のブログにのせたりしている時代に、Googleのストリービューだけに嫌悪感を感じるのはおかしくないでしょうか。それは自分達の日常を見せつけられたときの戸惑いに過ぎないではないでしょうか。
結局、僕らが自分のデスクや移動中のiPhoneからネットを通じて世界中のあらゆる情報にアクセスをできることを享受するなら、また自分達の世界も同じように解放されていくだけです。
そうした現実を受け入れるのか、受け入れることができないのかが、試されているのではないでしょうか。
Posted by: Shigeo Honda @ August 11, 2008 12:09 PM