上高地 /1938年 | [ ALBUM ] |
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父の E-5 と記されたスクラップブックは1938(昭和13)年の3月から12月の紙焼き写真が貼られている。それらは70年前の写真ということになる。
父27才、写専を出て小西六に就職、平々の社員の頃だ。
そこにあるのはフィルム・印画紙のテストと思しき写真で、Pf-Pu D-76d.T-7-M なんていう記述でチンプンカンプンではある。しかし、簡単に撮影場所の記述もあるのである。
その中に「上高地にて」と題した複数の写真がある。赤外線フィルムのテストと思しきものなのである。
13. 8-10. という数字が記されているが、13. 8. 10. とあれば昭和13年の8月10日のことなのだが、これは8月と10月を意味しているように思える。今さら確かめるすべはないが夏と秋二回で出かけているようである。
これらの写真、1938年の上高地の写真が何かの参考になるのか分からないが、その場所が縄張りである飛曇荘の住民の方に聞いてみてみよう。
飛曇荘さん、どうもです。
少しでもお役に立てたら......と思います。父の写真は記号のような撮影データは付いていても撮影場所なぞの記述が少なく、それに写真自体がサロン的というのか、文学的....芸術的.......な写真なのです。でも、写真に付した記述がないわけではないので、ご参考のために。
1.大正池より焼岳を望む。
2.なし
3.焼岳小屋より笠岳を望む。
4.焼岳小屋より
5.6.7.8.なし
後、記述のある写真は「焼岳より大正池を望む。」「霧の大正池。」の2点しかありません。どうも焼岳から.........というのが好きだったみたいですね。
今回スキャンしたのは、大きな紙焼きだけですが、小さいものはまだまだありますので、ご要望あれば.........公開したいと思います。しかし、記述がないのは同じですが。
「何かの参考になるのか分からないが」へのお礼を申し上げるのを忘れておりました。
物語も同僚もないに等しい職場へ、70年前の林相写真をいただきありがとうございました。
70年後の上高地にご厄介になっておりますが、ここへきていくらも経っていないので土地の人に聞いて間違いがあったら訂正させていただきます。
上から順に、
1.大正池から焼岳
2.帝国ホテル
3.中尾峠付近から岐阜県蒲田川上流(左から順に、錫杖岳・笠ヶ岳・抜戸岳、弓折岳の稜線)
4.中尾峠付近から長野県梓川上流(左:明神岳の稜線下部、右:六百山、奥:蝶ヶ岳方面、眼下に大正池)
5.大正池上流(現田代橋付近?)からの焼岳
6.(牛枠があるので何か保護すべき対象物(橋or護岸工)が近くにあると考えられます。また、河川敷が広いことから)河童橋の右岸からか、小梨平からの眺め(立木が倒れかかっています、大雨の後でしょうか)
7.河童橋下流からの化粧柳(けしょうやなぎ)群、後方は六百山
8.現田代橋付近から上高地の宿泊施設(左から順に、上高地温泉ホテル、清水屋旅館)、後方は岳沢