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八王子 /1964年冬

ALBUM , Hachioji

hachioji1963_0.jpg

浅川と多摩川の間に日野台という台地が拡がる。その台地上には昔から小西六写真工業(現コニカミノルタ)と日野自動車工業の工場がある。
このパノラマ写真は、父(秋山喜世志)が小西六「日野工場」建屋の屋上から撮った9枚のモノクロ紙焼き写真を繋いで制作したものだ。180°分あると思われるが、その4枚分にあたる部分をスキャンしてみた。

時期は1964年冬と思われる。特に写真にメモが付いていたわけではないが、写真にその前年稼働した小西六の新工場「八王子工場」が写っていること、そして、もちろん富士山もある。父はその二つが撮りたかったのである。そういう癖ある人だったことで、よく分かるのだ。

高台である日野台地と、そこにある工場建屋は結構高層であった。この方向は八王子盆地で市街地が拡がっているのだ。

まだ、市街には高層の建物もなくのどかな世界がそこにあったはずだ。台地上である左手の広い部分は戦後も残っていた八王子競馬場の跡と思われる。右手の屋敷林の中に甲州街道(国道20号)が走り、手前から左手に延びる道路は日野バイパスで、現在は国道20号に替るメインの道路になりつつある。
この日、工場の煙突の煙も水平にたなびき、強い北風が吹いている。そんな時の富士山はくっきり、すっきりなのだ。

写真に書き込まれた山の名前と標高は父がメモしたものだ。間違っているかも知れない。

[+]hachioji1963_2.jpg

先日のエントリー「八王子 /1983年冬」とは。時代も19年の隔たりがあり、撮影位置も高度も異なる写真だが、今も変らぬ山々、富士山がある。
この写真の1964年は東京オリンピックの年、そろそろ豊かになりつつある時代であった。


追記 071001

富士山の積雪状態や丹沢山塊に雪....を見ると、初冬というよりも、冬真っ盛りなのではないかと思えてきた。そうなれば、1964年の1,2月の冬ということになる。.......その年は、ちょうど、東京オリンピックの年だ。というわけで、タイトル内容を手直しすることにした。


Posted by 秋山東一 @ October 1, 2007 03:10 AM
Comments

井上ひろしさん、はじめまして。
それはそれは.....奇遇でありますね。HINO VOICE なる広報誌にお取り上げくださるとのこと、了解いたしました。
私のメールアドレスは下記です (@→@)。
ak1@landship.co.jp

Posted by: 秋山東一 @ December 25, 2007 01:35 PM

お隣の日野に住んでいます。日野ケーブルテレビが月一日野市内限定新聞折り込みで出している HINO VOICEという情報チラシを制作しております。その中で街を歩こうなどと、日野中をウロウロするのがありまして、来年の2月号に旭が丘を登場させるべく、八王子競馬場を調べていましたら、ここにたどり着いたという訳です。この写真を一見した瞬間、これは小西六からのもの、と記事を読めば書いてあったと後で気がつくほどの発見でした。それというのも、秋山さんが「一才の時に、小西六にいた父が日本橋の本社から日野の研究所に転勤になり、鷺宮から大和田に引越してきました」。と書かれていますが、実は自分も「一才の時に、小西六にいた父が諏訪にあった研究所から日野の研究所に転勤になり、諏訪から日野に引越してきました」。からすぐに撮影場所の見当が付いたのです。さらには[ Camera ]のところで「私は、祖父・父と二代続いた「写真屋」の系譜の中にある。子供の頃、初めてのカメラはベビーライカと呼ばれる、戦前のライカを小型にしたような国産カメラであった」。では、「私は、伯父・父と二代続いた「写真屋」の系譜の中にある。子供の頃、初めてのカメラはベビーパールと呼ばれる、カメラであった」。なので2度ビックリでした。違いといえば反発しないでそのまま「写真」を生業にしてしまったのですが。この写真には左手には帝人の研究所も写っていますし、競馬場はもちろん、旭が丘の造成区画整理前の姿があります。話は長くなりましたが、ぜひHINO VOICEで紹介させていただきたいのですが、いかがなものでしょうか?ご返答お待ちしております。

Posted by: 井上ひろし @ December 25, 2007 01:04 PM

笠木さん、どうもです。
東京オリンピックの開会式、1964年10月10日はとても静かな日だった記憶があります。世の中、皆、テレビにでも釘付けだったのでありましょう。その日、友人と学校のあった上野からバスに乗って千駄ケ谷の国立競技場をかすめるように新宿に来たものでした。
甲州街道は調布、今は「味の素スタジアム」のある地点に東京オリンピック・マラソン折り返し地点の標示があります。そこを通る時、いつもアベベの事を思いだします。

Posted by: 秋山東一 @ September 30, 2007 08:42 PM

お父様の字がいいですね。「焼」の旧字とか。
当時、私は千歳烏山に住んでいる小学生でした。
旧甲州街道から少し離れた所に新甲州街道が出来上がりつつありました。
私たち子供は工事中の広い道路で遊ぶこともありました。春には蛙の卵がずるずると増える細い川も無くなりました。
地元では新甲州街道をバイパスと呼んでいましたので
今でもタクシーの運転手さんに「バイパスへ」なんて言ってしまいそうになります。
八王子もそうだったようですが、烏山もとてものどかでした。牛もいたし。
次の年、私たち5・6年生鼓笛隊は新甲州街道でマラソンの応援をしました。アベベは裸足ではありませんでした。

Posted by: 笠木裕美子 @ September 30, 2007 07:34 PM