070814

利己的な遺伝子

Apple , BOOKS

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利己的な遺伝子(増補新装版)

編者: リチャード・ドーキンス
 Richard Dawkins
訳者: 日高 敏隆/岸 由二/羽田 節子/垂水 雄二

ISBN: 4314010037
出版: 紀伊国屋書店
定価: 2,940-円(税込)

先日、遅ればせながら Amazon からやってきた。

あまりにも有名な本書だが、竹内久美子の「そんなバカな!—遺伝子と神について」なんぞを読んで、読んだつもりになっていたが、MADCONNECTION の「ドーキンスとMac」なるエントリーを読んで、こりゃ読まにゃぁ...とあいなったのであった。

やってきたのは「利己的な遺伝子(増補新装版)」で初判刊行30周年記念ということだ。
初判である1976年版、そして二章が追加された1989年版、そしてこの30周年記念版、序文・まえがきから訳者あとがきに至る3代分が入れ子状態、その上、3本の書評まで付け加えられ、やぁ、まさしく30周年記念に相応しい豪華版なのである。

30年も前になるのか...それも大いなる驚きなのだが。

iGa chang こと五十嵐さんが「ドーキンスとMac」で取り上げていた補注部分には、本書の最終頁「索引および参考文献への鍵」から簡単に探し出すことができた。[ま行]マッキントッシュ・ユーザー・インターフェース 435-6 であった。

MADCONNECTION に倣って、その一部を取り上げてみよう。
「4章 遺伝子機械」の「たぶん、意識が生じるのは、脳による世界のシミュレーションが完全になって、それ自体のモデルをも含めねばならぬほどになったときであろう」についての補注である。

........................
 コンピュータは本物の機械であり、箱に入ったハードウェアである。しかしいかなる特定の時点においても、それはもう一種の機械、つまり仮想機械に見えるようにするプログラムを走らせている。これは長いあいだ、すべてのコンピュータについて当てはまってきたが、最近の「ユーザーに友好的な」コンピュータは、この点をとくに鮮やかに痛感させることになった。本書執筆の時点で、ユーザー友好性に関する市場のリーダーは、衆目の一致するところ、アップル・マッキントッシュである。その成功は、この本物のハードウエアー機械 —そのメカニズムは、ほかのあらゆるコンピューターと同じく、恐ろしいほど複雑で、人間の直感とはきわめて相容れがたいものである— を、別種の機械、すなわち人間の脳と人間の手にぴったり合うように特別に設計された仮想機械のごとく見せる一連の内蔵プログラムのおかげである。マッキントッシュ・ユーザー・インターフェースと呼ばれる仮想機械はまぎれもない機械である。それは押すべきボタンをもち、ハイファイ・セットのようなスライド・コントロールをもっている。しかしそれは仮想機械である。ボタンとスライダーは金属やプラスチックではできていない。それらは、画面上の図であり、あなたは画面上を仮想的な指を動かして押したりスライドさせたりするのである。一人の人間として、あなたはコントロールの主体であると感じる。なぜなら、あなたはものごとを自分の指で動かすことに慣れているからである。私は二五年間にわたって、さまざまな種類のデジタル・コンピューターの熱心なプログラマーであり、ユーザーであったが、マッキントッシュ(あるいはその模倣機種)を使うことは、以前のいかなるタイプのコンピューターを使うのとも質的に異なる体験であると証言することができる。それに対する無理のない自然な感情がある。ほとんど、この仮想機械が自分自身の体の延長であるかのような感覚である。仮想機械は、驚くべき程度まで、あなたにマニュアルを眺めるかわりに直感を使うことを許してくれる。
 ....................

「....本書執筆の時点で...」とあるが、本文というべきか、この補注は1989年版で追加されたものである。従って Macintosh 登場から5年後、その模倣機種とある Windows は未だ 2.1 の時代である。

この記述を読んで、登場したばかりの iPhone の事を言っているのだとしてもよかろう。それも20年近く前の記述なのである。
コンピュータをもってして「何を」するのかが問題だった時代から、「如何に」するのかの時代を、仮想機械としてのコンピュータとして実に明快に記述しているように思える。

まだ見ぬ iPhone だが、まさしく「あなたにマニュアルを眺めるかわりに直感を使うことを許してくれる」のであろう。

Posted by 秋山東一 @ August 14, 2007 11:35 AM | TrackBack (0)
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